2024年1月8日月曜日

「力なき者に力を」「ルカによる福音書」16章10節「小さい罪などというものはありません」

「小さい罪などというものはありません」

 小さなことに忠実な人は大きなことにも忠実なものです。

そして小さなことに不忠実な人は大きなことにも不忠実なものです。 

(「ルカによる福音書」1610節)

 

「小さい罪」などと言われる事柄があります。

しかし実は、そのようなものは存在しません。

神様の御言葉が自分の人生の指針であると信仰告白しているくせに、

いわゆる「小さな罪」を無害だと考えるのは危険な態度です。

その運用を委任されている他の人の資産を故意に目減りさせてしまう行為が

盗みであるとみなされるのはあまりありません。

例えばホテルやレストランにおいてある小物を「記念に」持ち去るといった

些細な窃盗はたいしたことではないと軽く考える人も多いです。

 

子どもの年齢を偽って旅行の切符を不当に安く手に入れようとする親は

神様の戒めを事実上ひどいやり方で破っています。

さらに悪いことには、

子どももそんな親から嘘をつくことを学んで

自分自身の良心を大きく傷つけていくようになります。

窮してつく嘘も他の罪と同じく、

神様の御前では人を滅ぼすに足る罪なのです。

 

人は自分にとって些細に思える罪に慣れてしまうと、

他のすべてのことにおいても善悪を判断する心が鈍くなっていくものです。

イスカリオテのユダの堕落は、

彼に委ねられた共有の資産から少しずつかすみ取るようになったことから

始まったのです。

「これはたいして悪い行いではないだろう」と彼は勝手に思っていたのです。

しかしのちに彼は自分の主を僅かな金銭と引き換えに売り渡してしまいます。

 

また、アナニヤとサッピラという夫婦はそろいあわせて使徒に嘘をつきました。

そのようなことをした彼らの最期がどれほど恐るべきものだったかは

以下に引用する「使徒言行録」5章から知ることができます。

 

「ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、

共謀して、その代金をごまかし、

一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。

そこで、ペテロが言った、

「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、

地所の代金をごまかしたのか。

売らずに残しておけば、あなたのものであり、

売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。

どうして、こんなことをする気になったのか。

あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。

アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。

このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。

それから、若者たちが立って、その死体を包み、運び出して葬った。

三時間ばかりたってから、

たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。

そこで、ペテロが彼女にむかって言った、

「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか」。

彼女は「そうです、その値段です」と答えた。

ペテロは言った、

「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。

見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。

あなたも運び出されるであろう」。

すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。

そこに若者たちがはいってきて、女が死んでしまっているのを見、

それを運び出してその夫のそばに葬った。

教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた。」

(「使徒言行録」5章1〜11節、口語訳) 

 

イエス様はすべての罪を帳消しにしてくださいました。

それは、私たちがすべてにおいて忠実であるためなのです。

私たちがそのように行動するとき、

神様は私たちに大きなことをもゆだねてくださいます。

  

(祈り)イエス様、私たちに正しいことを教え、

まちがったことについて警告してくださることをあなたに感謝します。

私たちのすべての詐欺めいた行いを、どうか赦してください。

あなたが私たちに

本当にすばらしいことをもゆだねてくださるようになるために、

まず私たちを「不正の富」の忠実な管理者としてください。

アーメン。

(「不正の富」とは「ルカによる福音書」169節にでてくる表現で

「金銭」のことです(訳者註))

(関連聖句)「ルカによる福音書」16113