「ベツレヘムの先にあるもの」
誰が私たちを罪に定めるというのでしょうか。
キリスト・イエスが死なれ、復活し、神様の右に座し、
私たちのためにとりなしておられるのです。
(「ローマの信徒への手紙」8章34節)
クリスマスまであとわずかになりました。
このお祝いのために多くの人が準備する時期です。
ところで、私たちのクリスマスの準備は正しく進んでいますか。
このお祝いにつきものの表面だけ煌びやかな安物の贈り物に惑わされ、
幼子イエス様を見失ったりしないように、
私たちは細心の注意を払わなければなりません。
実にこの幼子こそが私たちに救いをもたらされたのであり、
この方においてこそクリスマスの本来の美しさが
最上の輝きを放っているからです。
私たちの視線をベツレヘムの飼い葉桶よりも先へ向けて、
神様の奇跡の救いの御計画を眺める時に、
私たちはさらなる深い喜びを味わうことになります。
使徒は私たちにイエス様の死について語っています。
この方の死を通して世の罪はすべて帳消しにされました。
イエス様の復活は私たちを義とする
(つまり神様に受け入れていただけるようにする)ために成就されたのです。
御父の右の座におられる御子キリストを見つめるようにと、
使徒は私たちに奨励しています。
また、イエス様が私たちのために祈っておられ、
御父に対して私たちをかばってくださっていることを、
使徒は私たちに思い起こさせます。
こういうわけですから、
ベツレヘムの向こう側にまで目を向けてみましょう。
その時、クリスマスの福音の内容は私たちにとって
以前よりもいっそう豊かなものとなることでしょう。
(祈り)
あなたが人間を救い出すためにこの世にお生まれになった時、
私はまだこの世に生まれてはいませんでした。
あなたが私を守るために来てくださった時、
私はあなたの恵みを探し求めてはいませんでした。
あなたがこの世に急ぎ来られ、私たちのために天を開いてくださった時、
私はこの地上にはおりませんでした。
アーメン。
(関連聖句)「ルカによる福音書」1章1〜17節