2012年10月5日金曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 「聖書を読みすぎる」ということはありえません(その4)


 
「聖書を読みすぎる」ということはありえません(その4) 
 
 
神様の真理がどれほど力強いものか、
私たちは見てきましたし、
経験もそれを教えています。
神様の真理は、
あらゆる障害を打ち破って勝利の行進を続けます。
神様の真理である聖書を読めば読むほど、
それは人の心を動かし、満たし、
新たなよい考えを生み出していきます。

神様の御言葉は、
人の心に混乱と反抗を生み出しますが、
にもかかわらず、
それら心の葛藤は、
その人を救いへと導くような「不安」なのです。
  
使徒は御言葉を「剣」と名づけています。
それは、
どのように御言葉を敵に対して用いるべきか、
を示すためです。
説教し、説教を聴き、教えることによって、
御言葉の畑を耕し、
御言葉によって鍛錬されなければなりません。
御言葉をどこかにしまいこんだり、
書物の中にとどめておいたりしてはいけないのです。
さもないと、
ちょうど剣が鞘の中でさび付いてしまうのと同じことになります。
そのような場合、
御言葉はその本来の力を発揮することができず、
敵にダメージを与えることもできません。
  
私たちは
御言葉をつかみ、それを前面に出し、
それによって周りをたえず打ち続けるべきなのです。
それはどういうことかというと、
説教職を通して、また心や口によって訓練し、
御言葉を常に鋭く研ぎ澄まされた状態に保つ、
ということです。