神様の真理がどれほど力強いものか、
私たちは見てきましたし、
経験もそれを教えています。
神様の真理は、
あらゆる障害を打ち破って勝利の行進を続けます。
神様の真理である聖書を読めば読むほど、
それは人の心を動かし、満たし、
新たなよい考えを生み出していきます。
神様の御言葉は、
人の心に混乱と反抗を生み出しますが、
にもかかわらず、
それら心の葛藤は、
その人を救いへと導くような「不安」なのです。
使徒は御言葉を「剣」と名づけています。
それは、
どのように御言葉を敵に対して用いるべきか、
を示すためです。
説教し、説教を聴き、教えることによって、
御言葉の畑を耕し、
御言葉によって鍛錬されなければなりません。
御言葉をどこかにしまいこんだり、
書物の中にとどめておいたりしてはいけないのです。
さもないと、
ちょうど剣が鞘の中でさび付いてしまうのと同じことになります。
そのような場合、
御言葉はその本来の力を発揮することができず、
敵にダメージを与えることもできません。
私たちは
御言葉をつかみ、それを前面に出し、
それによって周りをたえず打ち続けるべきなのです。
それはどういうことかというと、
説教職を通して、また心や口によって訓練し、
御言葉を常に鋭く研ぎ澄まされた状態に保つ、
ということです。
ということです。