2012年10月3日水曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 「聖書を読みすぎる」ということはありえません(その3)



「聖書を読みすぎる」ということはありえません(その3)

 
 
聖書の内容は、
キリストの受苦によって確保された
恵みと罪の赦しの約束以外の何ものでもありません。
そして、イエス様を信じる人のみが救われるのです。
  
キリストについて喜んで聴き、話し、考え、書きたい、
という御言葉への気持ちと愛を抱いている人は、
このような心は
私たち人間の中に生まれながら備わっている傾向などではなく、
聖霊様の賜物であることを知っておきなさい。
  
苦しみや嘆きや死の中にいる私たちが
聖書から慰めを受けるとき、
聖書は正しく用いられています。
このことから言えるのは、
苦しみや死について何も知らない人は、
聖書の慰めについても何も知らない、
ということです。
なぜなら、この慰めは、
言葉によってではなく、
経験によって理解されるものだからです。
  
聖書は、人を病気や逆境や死から解放するものではありません。
それとは逆に、
聖書は「聖なる十字架」を宣べ伝えます。
それゆえ、忍耐が必要になります。
しかし、聖書は苦しみの中にいる人を慰め強めてくれます。
それは、
人が忍耐を失わずに、
苦しみの壁を貫いて、勝利を得るようになるためです。
「神様が共にいて、守ってくださっている」、
という慰めの言葉を聴くときに、
人の魂は喜び、勇気付けられ、へりくだり、
苦しみに耐えていくようになります。
  
御言葉は、
静かな人や穏やかに喜ぶ心の持ち主
を生み出していきます。
彼らは、危険に直面しても、
疑ったり苦しみに押しつぶされることがありません。
彼らは、危機の最中にありながらも、
危機に拘泥しません。
彼らは、
自分が「神様のもの」であることや、
自分にはキリストを通して憐れみ深い天の父なる神様がおられること、
を信頼して、自分を慰めます。