2011年5月25日水曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」12月6日~10日

 

126

あなたがたの腰に帯が締められていて[1]明かり点されて[2]いるように。
ルカによる福音書1235節)

あなたがたは用意を整え目を覚ましていなさい。手に明かりをもち、それを絶やさないようにしなさい。いつ死ぬことになるかわからないからで自分が死の時の訪れ待つ身であることを忘れないように!私たちはあたかも永遠に生きるかのように働きましょう。しかし一方では、いつ死んでも大丈夫なように心を整えましょう。そのようにして私たちは腰に帯を締めた服装で花婿イエス様を待つことになるのです。この教えは私たちを地の塵の中に打ち倒し、悔い改めへと追いやります



127

あなたがたは、主人が婚礼から帰ってきて戸をたたくとき、すぐに開ける準備ができている人々のように待機していなさい。
ルカによる福音書1236節)

神様は私たちが腰に帯を締め御自分を待っているようにと、お命じになっていますそう神様が言われるのは、私たちの最善を思ってのことです。自分が腰に帯を締めていないことに気づいた人は、そのことを主に打ち明け、助けを求めなさい。そのような人に神様は憐れみによって罪の赦しの恵みと助けを与えてくださいます



128

しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから(来られる)救い主、主イエス・キリストを私たちは待ち望んでいます
フィリピの信徒への手紙320節)

クリスチャンは自分の所属する家やグループや王国をこの世以外のところにもっています。あなたがたクリスチャンとして歩者として、この世的な不幸がもはやなく永遠の平和の中で生きていくことができる天の御国思いを向け、そちらへ歩んでいきなさい!



129

今のこのときの苦しみは、これから私たちに顕示されようとしている栄光とは比較にならない(ほど小さい)と私は思います
ローマの信徒への手紙818節)

もしも私たちがこの栄光を見るなら、私たちはさぞ立派に耐え忍ぶ殉教者となことでしょう!もしも川の向こう岸に金貨のつまった箱をもった男が立っていて「川を泳ぎ渡る勇気のある者はこの金貨をもらえるぞ!」と叫んだとすれば、すぐにでも真剣な水泳競争が始まることでしょう!



1210

それゆえ兄弟たちよ、主が帰って来られる[3]まで忍耐しなさい。見なさい、農夫は地の尊い実りを春の雨と秋の雨の時節まで忍耐強く待っています。あなたがたも、主の帰って来られる時が近づいた[4]のだから、忍耐し心を強めなさい
ヤコブの手紙578節)

神様はすべてのクリスチャンを「忍耐と慰めの学校」にお入れりますこの学校では私たちはいつも学びの途上にあり、すべてをすっかり学び終えるようなことは決してありません。聖書は悲惨や苦しみや死を消し去ったりはません。のため、忍耐が必要になるので。しかし、聖書は苦しみの只中にある私たちを慰め強め、倦まず弛まず私たちが前進できるように助けてくれます。私たちが勝利を得るまでずっとです。


[1] 完了分詞形
[2] 現在分詞形
[3] ギリシア語で「パルーシア」、「再臨」などと訳される。この世の終わりに主イエス・キリストが地上に帰ってこられる出来事をさす。
[4] 完了形