2011年5月23日月曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」12月1日~5日



121

シオンの娘よ、大いに喜びなさい、エルサレムの娘よ、歓声を上げなさい。見なさい、あなたの王様があなたのところへ来られます。この方は義なる方であり勝利を得、柔和ろばに乗っておられます。雌ろばの子である子ろばに乗っておられるのです
ゼカリヤ書99節)

この王様の国に属し、堅い信仰をもって王様から離れずにいる者のことを、罪も死も、地獄も悪魔も、人間もどんな被造物も傷つけることはできません。そのような人は、救いの喜びに満ちた罪のない者として、その王様と同じように永遠に生きるので



122

主イエスは彼ら(十一弟子)に語り終わってから天にあげられ、神様の右にお座りになりました。
マルコによる福音書1619節)

このことは私たちのうちに救いの喜びに満ちた「誇り」を今にでも生み出すはずで。なぜなら、私たちはあらゆる被造物や天使たちよりも上位に、高貴な地位を与えられており私たち自身と骨肉の関係にあるお方が神様の右にお座りになってすべてを支配しておられことを私たちは本当に誇ることができるからで。このような栄光は他のどんな被造物や天使にさえも与えられてはいません。それはまた私たちにとって、私たち人間をひとつに溶かし私たちに燃えるような兄弟愛を与えるようなオーブンでなければならないはずのもの



123

子に口付けしなさい。さもないと主は怒り、あなたたちは道半ばにて滅びるでしょう。この方の怒りがたちまちのうちに[1]燃え上がるからで
詩篇212節より)

キリスト世の王様であり、すべてはこの方の足下におかれていることは、すでに決定されています。良い日々や平和を楽しみたいと望む者は御子に口付けし御子に聴き従わなければなりません。さもなければ陶器のように打ち砕かれてしまうでしょう。



124

夜の間は涙が止まりません[2]、朝には喜びが来ます。私は安らかなに「私は決して揺らぐことがない」と言いました。主よ、あなたは好意によって(私を)堅固な山へと立たせてくださいました。(しかし)あなたが御顔を隠された時には、私は困り果てました。
詩篇3068節より)

この詩篇には安らかな良心がどのようなものであるかが美しく描かれています。ダヴィデは全世界を水滴ほどのものと見なし、その怒り狂った嵐のような力を恐れません。主は彼と共におられ彼の岩を強めてくださいます。しかし、彼が躓き主が彼から御顔を隠した時には、彼は慌てふためき、その勇気と岩とを失ってしまいました。



125

私たちに定められたお祝いをする町、シオンを見なさい。あなたの目は平和な住まい取り壊されることも移動されることもない幕屋、エルサレムを見ます。(中略)そこに住む者は誰も「私は病気です」とは言いませんそして、そこに住む民は罪が赦されます
イザヤ書332024節より)

神様は人間の罪をこの生において取り去お赦しになるところに、御自分の栄光と恵みを示されます。これ地上における「恵みの王国。しかし、完全な救いに満ちている栄光の王国においては、罪もその取り巻きである悪魔や死や地獄も、(人に)もはや苦しみをもたらすことはありません


[1] ヘブライ語によれば、「わずかの間」という訳も可能である。
[2] 直訳は「夜には涙が泊まっている」。