2011年5月4日水曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」10月26日~31日

  
1026
  
また私は天からの声がこう言うのを聞きまし「書き記しなさい、『今から後主にあって死ぬ者たちはさいわいで』」。「そのとおり」と御霊も言われます、「彼らはその労苦から解かれて休息を得、その行いは彼らに伴います」。
ヨハネの黙示録1413節)

第二の死」(終わりの日に復活して永遠の死という裁きを受けること)は信仰者に対しては支配力を失い、キリストを通して命へとえられています。あとに残っているのは、ほんの小さな死の胎、砂糖のように甘い死だけで。クリスチャンは死ぬことを通して、その「」(この世での身体)が不信仰重くのしかかる罪悲惨悲しみ誘惑から解放され、信仰永遠の義完全性喜びへとっていきます。この死(主に会って死ぬこと)は地上でのどのような人生よりも甘いもので。心に咎めがなく信仰と永遠の命の確信をもって死ぬことは、私たちがこの人生や物や享楽から得ることができるような喜びよりも大きな喜びで



1027

私たちのうち、誰一人自分のために生きる者はなく、誰一人自分のために死ぬ者もいません。もしも私たちが生きるのならば、主のために生きるのであり、もしも私たちが死ぬのならば、主のために死ぬので。生きるにしても死ぬにしても私たちは主のものなので
ローマの信徒への手紙1478節)

死がどんな意味をもっているか、ここからわかります。死は彼らにとって勝利で。死は彼らを傷つけるどころか、彼らに襲いかかってきたときに自分を痛めつけてしまいます。死ぬときに私は勝つのです。私はそうしてより速やかに命へと入ることができるからで



1028

しかし、あなたは終わりまであなたの道を行き、休息を得、世[1]の終わりのときにあなたの分を受けるために起き上がりなさい。
ダニエル書1213節)

クリスチャンの死は夢です。それを通してクリスチャン命へと入ります。しかし、神様をないがしろにする者は命を捨て永遠の死を得ますあなたがたは次のように確信してよいのです、「キリストを信じて先にこの世を去ったあなたがたの友たちは死んだのではなく、甘く心地よい夢を見つつ眠っています。そして最後の日に栄光に満ち太陽よりも眩しく光を放っている体をまとって復活するのです」



1029

彼(アブラハム)はこの神様、すなわち死んだ者たちを活ける者とし、「存在しないもの」から「存在するもの」を呼び出される方を信じたので
ローマの信徒への手紙417節より)

神様は言われます、「私は存在しないもの」存在するようになるように呼び出し嘆きや心の苦しみすべてを喜びに変えます。そしてこう言います、『死や墓よ、命へと変わりなさい!地獄よ、天国や救いに変わりなさい!毒よ、最良の薬に変わりなさい!悪魔や世よ、愛する私の天使たちや真摯な聖人たち以上に、私のものであるクリスチャンたちの益となるように働きなさい!私は、ありとあらゆる不幸や苦難を通して自分の庭の世話をして耕し、それをよりよくしていくのです』」



1030

私はあなたたちに言いますが、招待されていたあの者たちのうちで、私の晩餐にあずかる者はひとりもいないでしょう。
ルカによる福音書1424節)

福音の説教を受け入れない者は、たとえどんなに賢く上流の者であっても、ここで裁きを耳にすることになります。彼らは神様の晩餐にあずかることができず、神様の怒りが彼らの上に留まり、そして彼らは不信仰のゆえに滅びるので。しかし、福音を受け入れた私たち、心が罪におびえて神様の恵みを斥けたりしない私たちは、怒りの代わりに恵みをいただき罪の代わりに永遠の義をいただき、死の代わりに永遠の命をいただきます
 
 
 
1031

生まれたての赤ちゃんのように混じりけのない霊的な乳を慕い求めなさい。それによって、救いへ向けて成長していくためで。あなたがたは、主がよい方であることを味わったはずでしょう
ペテロの第の手紙223節)

心で信じるときに私は、「キリストが御自分を私に贈って私のものになってくださったことや、私の不幸はキリストのものであり、キリストの命はのものであることを味わい知ったので。このことは、心がそれを知るときに本当に美味しく感じられます。そしてそれは深い喜びをもたらすので



[1] あるいは「日々」。