5月21日
肉の中にある者たちは神様に喜んでいただくことができません。しかし、神様の御霊があなたたちの中に宿っているのなら、あなたたちは肉の中にはなく御霊の中にあります。もしもキリストの御霊をもっていない人がいるのなら、その人は「キリストのもの」ではありません。もしもキリストがあなたたちの中におられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに活きています。
(「ローマの信徒への手紙」8章8~10節)
御霊は罪の赦しをもたらしてくださり、義のゆえに命です。しかし肉は罪のゆえに死に渡されています。
5月22日
むしろ、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身もあらゆる歩みにおいて聖なる者となりなさい。なぜなら「私が聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者となるべきです[1]」[2]と書いてあるからです。
(「ペテロの第一の手紙」1章15~16節)
私たちは今、あらゆる面で聖くなった者が存在するかどうかについて話しているのではなく、「そのような者になるように努力しなさい」と真剣に忠告しているのです。間違ったことをせず、行うべき事をきちんと行い、汚れがなく、聖い生活を送っている者は、この世には決して見当たりません。もしもそのような人がいたとしたら、「主の祈り」は偽りになることでしょう。なぜなら、イエス様はその祈りの中で、聖なる者が皆、「私たちの罪を赦してください」と祈るように教えておられるからです。
5月23日
永遠の命とは、彼らが、唯一のまことの神様であるあなたと、あなたが送ってくださったイエス・キリストとを知ることです。
(「ヨハネによる福音書」17章3節)
もしもあなたが、クリスチャンとはどのような者であるか、あるいは、何に基づいて人はクリスチャンと呼ばれるのか、について本当に知り、はっきりと理解したいならば、モーセの律法や聖人たちの生活に基づいてではなく、次のようなキリストの言葉に基づいて考えなければなりません、「私の羊は私がよい羊飼いであることを知っており、私をよく知っています。それゆえ、彼らは私のもとに来て、自分自身の弱さや病に怯えることなく、私にしっかりと身を寄せます。また、彼らは私がそのような羊たちを可愛く思っていることを知っています」。
5月24日
彼は、痛めつけられた葦を折ることがなく、煙っている灯心を消すこともないでしょう。
(「マタイによる福音書」12章20節より)
キリストを正しく知るようになることや、キリストの王国は弱い者や病気の者だけが入っているような「病院」に他ならず、そこには手当ての必要な調子の悪い者や病人が寝込んでいる、ということを知るのは非常に大切です。このことを理解しているのは、福音をもっている者たちも含め、ごく僅かの人々です。これはあらゆることのうちでも最も偉大な知恵です。
5月25日
御自分の御子を惜しまずに私たち皆のために(死に)渡された方が、どうして御子とともにそのすべてをも私たちに賜らないことがあるでしょうか。
(「ローマの信徒への手紙」8章32節)
キリストとそのすべての善性が自分のものになっていることを信じない人は、実はまだ正しくは信じてはいず、クリスチャンでもありません。また、その人の心には喜びがありません。なぜなら、このような信仰のみがクリスチャンに喜びと確かな安心感を与え、クリスチャンを聖霊様のお住い、救いの喜びに満ちた神様の子供にするからです。クリスチャンは、神様の御言葉を真理として受け入れ、自分の不信仰を虚偽と見なすほどに、神様と主イエス様とを敬わなければなりません。そして、この通りになるところでは、聖霊様が御自分の力を示して、信仰のみわざを始めてくださっているのです。