2011年2月3日木曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」5月21日~25日

     

521

肉のにある者たちは神様に喜んでいただくことができません。しかし、神様の御霊があなたたちのに宿っているのなら、あなたたちは肉のにはなく御霊のにあります。もしもキリストの御霊をもっていない人がいるのなら、その人はキリストのものではありません。もしもキリストがあなたたちのにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊は義のゆえに活きています。
ローマの信徒への手紙8810節)

御霊は罪の赦しをもたらしてくださり、義のゆえに命で。しかし肉は罪のゆえに死に渡されています



522

むしろ、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身もあらゆる歩みにおいて聖なる者となりなさい。なぜなら「私が聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者となるべきで[1][2]と書いてあるからで
ペテロの第の手紙11516節)

私たちは今、あらゆる面でなった者が存在するかどうかについて話しているのではなく、そのような者になるように努力しなさい」真剣に忠告しているので。間違ったことをせず行うべき事をきちんと行、汚れがなく、聖い生活を送っている者は、この世は決して見当たりません。もしもそのような人がいたとしたら、「主の祈り」は偽りになることでしょう。なぜなら、イエス様はその祈りの中聖なる者が皆、「私たちの罪を赦してください」と祈るように教えておられるからで



523

永遠の命とは、彼らが、唯一のまことの神様であるあなたと、あなたが送ってくださったイエス・キリストを知ることで
ヨハネによる福音書173節)

もしもあなたがクリスチャンとはどのような者であるかあるいは何に基づいて人はクリスチャンと呼ばれるのかについて本当に知り、はっきりと理解したいならば、モーセの律法や聖人たちの生活に基づいてではなく、次のようなキリストの言葉に基づいて考えなければなりません、「私の羊は私がよい羊飼いであることを知っており、私をよく知っています。それゆえ、彼らは私のもとに来て、自分自身の弱さや病に怯えることなく私にしっかりと身を寄せます。また彼らは私がそのような羊たちを可愛く思っていることを知っています



524

彼は、痛めつけられた葦を折ることがなく、煙っている灯心を消すこともないでしょう
マタイによる福音書1220節より)

キリストを正しく知るようになることや、キリストの王国は弱い者や病気の者だけが入っているような病院に他ならず、そこには手当ての必要な調子の悪い者や病人が寝込んでいるということを知るのは非常に大切で。このことを理解しているのは、福音をもっている者たちも含め、ごく僅かの人々で。これはあらゆることのうちでも最も偉大な知恵です



525

御自分の御子を惜しまずに私たちのために(死に)渡された方が、どうして御子とともにそのすべてを私たちに賜らないことがあるでしょうか。
ローマの信徒への手紙832節)

キリストそのすべての善性自分のものになっていることを信じないは、実はまだ正しくは信じてはいず、クリスチャンでもありませんまた、その人の心にはびがありません。なぜなら、このような信仰のみがクリスチャンびと確かな安心感を与えクリスチャンを聖霊様のお住い、救いの喜びに満ちた神様の子供にするからで。クリスチャンは、神様の御言葉を真理として受け入れ、自分の不信仰を虚偽と見なすほどに、神様と主イエス様を敬わなければなりません。そして、の通りになるところでは、聖霊様御自分の力を示して、信仰のわざを始めてくださっているのです。


[1] 未来形。
[2] レビ記 192節。