2011年2月17日木曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」6月16日~20日

 
  
616
  
私の兄弟たちよ、このようにあなたたちもキリストのからだを通して律法に対して殺されたので。それは、あなたたちがの方、すなわち、死人の中から甦られた方のものとなり、こうして私たちが神様のために実を結ぶためなので
ローマの信徒への手紙74節)

このように信仰者は苦難から解放され、その花婿であるキリストの永遠の義を着させていただいているのです。なんと救いの幸せに満ちた結びつきでしょう富裕で高貴な聖なる花婿が貧しく欠点だらけで皆に蔑まれ花嫁を妻として迎え、彼女をすべての悪から解放し最上の祝福によって祝福してくださるのです。



617

すなわち、私は内なる人としては神様の律法を喜んでいますが、私の肢体には別の律法があって、私の理性の律法に対して戦いを挑み[1]、私の肢体に存在する罪の律法のなかに私を虜にしている[2]のを見ています
ローマの信徒への手紙72223節)

パウロや聖人たちを罪のない者と見なそうとている人々は、あまり考えずに御心に反することをしています彼らは信仰の教えについて無知であるがゆえにこような主張をするのですが、こうすることで彼らは教会からその最大の慰めを奪い去り、罪の赦しについての教えキリストを無意味なものにしてしまうからです



618

あなたたちは罪に支配されることはないでしょう。なぜなら、あなたたちは律法の下にはなく恵みの下にあるからで
ローマの信徒への手紙614節)

律法の下から自由になっているということは、好きなときに好きなだけどんな悪いことでも行う自由があるとか、よきわざを怠ってよいとかいう意味ではありませんその本当の意味は、恐れや強制や律法の要求のゆえではなく、自由な愛の心から喜んで、よ行いをして悪を避けるということなのしかも、あたかも律法が存在しないかのように、それは自然に行われるので



619
 
私たちの救い主である神様の善性と人間愛が現れたとき、私たちが行なった
義におけるわざによってではなく、御自身の憐れみにより、神様は私たちを再生の洗いと聖霊様による一新を通して救ってくださいました。
テトスへの手紙345節)

使徒はこの洗いまれること」と呼びまた「聖霊様によって新しくされること」と呼んでいます。それは、恵みの大きさと力私たちはっきり示されるためです。この洗いは非常に偉大なわざなので、それを行えるのは被造物ではなく、ただ聖霊様のみで



620

あなたたちは皆、イエス・キリストにおける信仰を通して神様の子供で。なぜなら、キリストへと洗礼を受けたあなたたちは皆、キリストを着たからです。
ガラテアの信徒への手紙32627節)

福音にふさわしいかたちでキリストを上に着ることは、律法や行いを着込むことではなくて、想像もできないほど大きな賜物、すなわち罪の赦し、義、平和、慰め、聖霊様における喜び、救い、、さらにはキリスト御自身をも着ることで洗礼はキリストを着ることであり、たんなる外的なしるしではない」、とパウロは教えています。キリスト御自身が私たちの服で。それゆえ、洗礼は本当に力があり、すばらしいことなのです


[1] 現在分詞。継続している動作や状態をあらわす。
[2] 現在分詞。継続している動作や状態をあらわす。