5月26日
フィリポはサマリアの町に下って行き、彼らにキリストを宣べ伝えはじめました[1]。群衆は、フィリポの話を聞き、彼の行っていた[2]奇跡を見て、フィリポを通して語られたことに一心に[3]聞き入っていました[4]。(・・・)その町には大きな喜びが生じました。
(「使徒の働き」8章5~6、8節)
正しい信仰はいつでも神様における慰めと喜びをもたらします。しかし、このような慰めや喜びを体験できるのは、悔いる心と畏れの心をいだいている人だけです。キリストがこう言われているとおりです、「貧しい者たちに福音が宣べ伝えられています」。
5月27日
(「テモテへの第一の手紙」1章15節)
私は、キリストの御名と力によって自分が罪から自由の身であると宣告されている、と確信しています。このことに堅く信頼している心の持ち主には何も悪いことが起こらないし、滅んでしまうこともありえません。それはちょうど、神様も決して嘘をついたり悪いことをしたりなさらないのと同じです。私はそれをあなたに保証できます。なぜなら、神様御自身がこれをあなたに御言葉において保証されているからです。
5月28日
あなたの民は、あなたがその軍勢を聖なる山々[6]に導く日に、自分から進んで己をささげるでしょう。あなたの若者は、朝の胎からでる露のように、あなたのもとに来るでしょう。主は誓われたのであり[7]、後悔なさることはありません[8]。あなたはメルキゼデクの位[9]に従って永遠に祭司なのです。
(「詩篇」110篇3~4節)
ダヴィデがキリストを「永遠の祭司」と呼んでいるこの聖書の箇所は、すべてのキリスト教的な教えと理解と知恵と慰めの源泉であり井戸です。それは非常に大きく豊かなので、聖書からこれ以上に豊かで完全な箇所は見つからないほどです。なぜなら、ここでキリストの正しい職務が告げ知らされているからです。
5月29日
パウロもアポロもケファも世も命も現在も未来も、すべてはあなたたちのものです。しかし、あなたたちはキリストのもの、キリストは神様のものなのです。
(「コリントの信徒への第一の手紙」3章22~23節)
神様の愛する独り子、すべての被造物の相続者、主なる方とともに、私たちには本当にすべてが与えられています。同様に、すべての生き物、天使、悪魔、生と死、天と地、罪と義、現在と未来が私たちの支配下に屈服させられています。パウロがこう言っているとおりです、「そのすべてはあなたたちのものです。しかし、あなたたちはキリストのものであり、キリストは神様のものなのです」。
5月30日
そこで、天国への招待を受けている聖なる兄弟たちよ、あなたたちは、私たちが告白する使徒、大祭司なるイエス様のことを思いなさい。イエス様は、モーセがイエス様の家全体に対して忠実であったように、御自分を立てた方に対して忠実でした。家を造る者が家そのものよりも尊ばれるように、モーセ以上にイエス様は、大いなる栄光を受けるのにふさわしい方とされたのです[10]。[11]
(「ヘブライの信徒への手紙」3章1~3節)
「自分は聖くない」とクリスチャンが言うならば、それは大きな恥であり神様を侮ることになります。なぜならその場合、キリストの血も神様の御言葉も聖霊様も恵みも、さらには神様御自身さえも、聖くないかのように見えてくるからです。これらすべてのものを神様はクリスチャンにあふれるほど豊かに与えてくださいました。それはクリスチャンが聖くあるためなのです。
5月31日
あなたたちは私に対して悪をたくらみましたが、神様はそのたくらみをよきものにしてくださいました。
(「創世記」50章20節より)
私があなたたちの主人にならないようにするために、あなたたちは私の命を狙い、私を異邦人に売りましたが、こうしたあなたたちの策略により、かえってあなたたちは私をあなたたちの主人にしてしまったのです[12]。神様はあらゆる不幸さえも私たちの益になるようにされる達人です。「神様は全能ですべてを支配されている」と信頼するとき、私は敵を恐れません。なぜなら、神様は彼らの考えや心を私の考えや心と同じように支配されているからです。神様は生と死をつかさどっておられます。