2011年2月18日金曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」6月21日~25日

 
621

私の名を畏れているあなたたちには、義の太陽が昇り、その翼の下には癒しがあります
マラキ書320節より)

御言葉洗礼聖餐は、私たちの「明の明星」で。それらを私たちは「恵みの太陽」の特別なしるしであるかのように見つめます。なぜなら私たちは確信をもって次のように言えるからです、「御言葉とサクラメント(洗礼と聖餐があるところには常にキリストがおられ、また罪の赦しと永遠の命があります。逆に、これらの恵みのしるしがないかあるいは拒絶されるところでは、恵みはまったくなく、ただひどい迷妄があるだけで



622

あなたたちの中で試練を耐え抜く人々が明らかになるために、あなたたちの中に分派があるのはやむをえません
コリントの信徒への第の手紙1119節)

なぜ主は偽預言者たちを義なる人々や真の説教者たちの只中から起こされるのでしょうか。主は、福音を清力強いものとして保つことができるほど強くはないのでしょうか?主はもちろんおできになります。しかし主がそうなさらないのは、御自分の民を試練にわせ強くするためであり、感謝の心のない者たちを罰するためで



623

そのときイエス様は答えて言われまし「天と地の主なるお父様、私はあなたをほめたたえます。あなたはこれらのことを知恵のある者たちや賢い者たちからお隠しになって、幼い者たちにあらわしてくださいました。そうです、お父様、このようにしてあなたの御心が御前に実現するためでした」
マタイによる福音書112526節)

神様はこう言われます、「私は福音を明瞭な言葉で書かせ宣べ伝えさせたいと望んでいます。しかしすべてはどのように聖霊が光を与えるかによって決まります。聖霊が光を与えるのは、私の言葉を真面目に受け入れる単純なひとにぎりの人たちだけに対して。他の者たちに対して、あのエジプト人たちに対してのように、聖霊のは深い暗闇に包まれたままです。どれほど明瞭に私の言葉が宣べ伝えられ説教されたとしても、それは彼らにとってはただ侮辱と堕落を招くことになります。彼らは私の言葉に躓き、それをって反抗し、ついには滅んでいくので



624

主なるイスラエルの神様がほめたたえられますように。神様は御自分の民を顧みて贖ってくださり、そして私たちのために救いの角(つの)を御自分の僕ダビデの家に起こされました。
ルカによる福音書16869節)

この王国は私たちの命や行い左右されず、救い主キリストとその福音とに依拠してます。あなたたち聞いたことがあるいますが、それは恵みと命と義と救いと憐れみの王国であり、その国民は誰であれ、どんなに消え入りそうなほど弱くて、ヨハネほど聖くなくキリストほど完全でなくても、健康と救いにあずかれるのです



625

愛する人たち、私があなたたちに書いているのは新しい戒めではなく、はじめからあなたたちがもっていた[1]古い戒めです。その古い戒めとは、あなたたちが聞いた[2]御言葉で
ヨハネによる第の手紙27節)

クリスチャンは、罪の誘惑を相変わらず感じているがゆえに心のなかで苦しみつつ自分の罪を告白する罪人で。罪を知らない者はクリスチャンではありません。もしもあなたがそのような者に出会うなら、あなたは反キリストに出会うのであってクリスチャンに出会うのではありません


[1] 未完了形。
[2] アオリスト。