2011年2月7日月曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」6月1日~5日

 
61
 
救いの兜を被り、御霊の剣すなわち神様の御言葉を取りなさい。すべての祈りと願いを通してあらゆる時に御霊にあって祈りなさい[1]。そのために、あらゆる忍耐をもってすべての聖徒のために祈り、目を覚ましていなさい[2]
エフェソの信徒への手紙61718節)

教会を維持しているのは、忠実な教え、熱心な祈り、真の苦難で。この世は「平和の王国を、表面的には平和にみえる雰囲気の中でこと円滑に運ばれうまくいくところ見出します。ところが、「恵みと救いの王国は、上の聖書の箇所に挙げた教会を教会たらしめる「しるし」に基づいて見出されるのです。たとえ教会が表面的には世の「平和の王国」とは正反対に見えることがしばしばあるとしても、そうなのです。



62

イエス様が彼らのもとに来て彼らにこのように話されまし「私には天においてもまた地上においてもすべての支配権が与えられました。それゆえ、あなたたちは巡り歩いて[3]、すべての国民を弟子にしなさい[4]。父と子と聖霊の御名によって彼らに洗礼を授けなさい[5]。あなたたちに命じておいたすべてのことをまもるように彼らに教えなさい[6]。見よ、私は世の終わりまで、すべての日々、あなたたちと共にいるのです
マタイによる福音書281820節)

私たちには教会を維持する能力がありません。私たちの先祖にも子孫にも、その力がなかったしこれからもありません。しかし今も昔もこれからもその力があるお方がひとりおられます。れは、「私は世の終わりまで、日々常に、あなたたちと共にいる」と言われているお方で



63

主は言われまし「もしも私がソドムで50人の義人を町の中から見つけるならば[7]、彼らのゆえに私はその場所全体を赦します
創世記1826節)

御自分のものである「教会のゆえに神様は御自分をないがしろにしている人々をも祝福なさるということによく注目するべきで。もしも仮にこの世に教会や福音の説教がなかったならばこの世はもうとっくの昔に滅んでしまっているはずで。私たちの時代にも、神様は私たちと共にいてくださいます。なぜなら私たちには御言葉とサクラメント(洗礼と聖餐)があるからで。神様は私たちを通して話され働きかけられ、多くの者を死や滅びから解放してくださいます



64

天国は畑に隠してある宝のようなもので。人は、それを見つけるといったんは隠しておいて喜びながら出かけて行き、持ち物全部を売り払いって、その畑を買います
マタイのよる福音書1344節)

このようなものがつまり天国で。何人かの人は天国をっているように見えますが実はそうではなく、他の人たちは天国を持っているようには見えませんが、実はっています表面的には立派に見える偽善者たちは教会を形成したいと思ってますが、できません。彼らは教会の宝キリストを知らないからでところが、義なる人たちは、たとえ彼らが教会を形成しているようには見えなくても、キリストを知っています。彼らはこの世においてはまったく目立たないた存在でありつづけるからで



65

キリストの御言葉をあなたたちのうちに豊かに宿らせなさい。すべての知恵によって互いに[8]教え合いまた訓戒し合い[9]、詩篇と賛美と霊的な歌によって、感謝しつつ、心から神様をほめたたえなさい[10]
コロサイの信徒への手紙316節)

パウロはここで教えるという職務すべてのクリスチャンはかかわりをもっていることを示しています。彼こう言っているとおりです、「互いに教え合いまた訓戒し合いなさいすなわち、公の説教職以外の交わりのなかでも、互い訓戒し合い、また自分自身を戒めなさい。それは、神様の御言葉があらゆるところで、公も私的、一般的に個人的に活用されていくようになるためす。


[1] 現在分詞。
[2] 現在分詞。
[3] アオリスト分詞。
[4] アオリスト命令形。
[5] 現在分詞。
[6] 現在分詞。
[7] M)で始まる条件文は実現可能性のある場合を表す。
[8] 直訳は「自分自身に」。
[9] 現在分詞。
[10] 現在分詞。