2014年2月7日金曜日

「ルターの祈りの本」 十戒(その6)


安息日を覚えて、これを聖とせよ。(その1)
  
 
愛する神様、
安息日が定められたのは、
その日に私たちが怠けたり、この世的な欲をみたしたりするためではなく、
安息日を聖とするためであることを、
あなたはここで私に教えてくださっています。
しかし、私たちの仕事や活動によっては、
安息日が聖とされることはありません。
なぜなら、私たちの仕事は聖なるものではないからです。
神様の御言葉のみが完全に清く聖なるものであり、
それと関わり合うもの(時、場所、人、仕事、休息など)を
全て聖なるものとします。
そのようにして、私たちの仕事もすべて聖なるものとされます。
ちょうど、パウロが、
「御言葉と祈りによって、すべては聖なるものとされる」
(「テモテへの第一の手紙」45節)、と言っているように。

それゆえ、私はここで告白します。
安息日には、第一に神様の御言葉を聴いて研究しなければなりません。
それから、神様の善きみわざについて主に感謝と賛美をささげ、
また自分自身と全世界のために祈らなければなりません。
このようにして安息日を過ごす者は、安息日を聖なるものとしています。
そのように行わない者は、
安息日に体を動かす仕事を行っている者よりも
さらに悪いことをしているのです。


第二に、愛する主なる神様、私はあなたの貴いみわざと恵みを感謝します。
あなたは私たちに御言葉とその説教を与えてくださいました。
そして、とりわけ安息日には御言葉をよく学ぶように命じておられます。
御言葉を十分に研究し尽くすことができる人は誰もいないのですから。
あなたの御言葉がこの世の生活の暗闇の中にある唯一の光です。
御言葉は、命の言葉、慰めの言葉、すべての救いの言葉です。
愛すべき健康な御言葉がないところには、
実際に私たちが毎日目にしているように、
おぞましく恐ろしい暗闇と迷妄、異端の分派、死、
あらゆる不幸、悪魔の専横があるばかりです。