2012年11月23日金曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 世の怒りを何か異常なことだとは思わないようにしなさい!(ペテロの第一の手紙4章12節)(その3)


  
 世の怒りを何か異常なことだとは思わないようにしなさい!
(「ペテロの第一の手紙」412節)(その3)
   
  
恵みとキリストの中で生きている人は侮られます。
誰もその人を尊敬しません。
それどころか、皆がその人を馬鹿にし、
人々が普通やり遂げるあらゆる仕事に関して、
能な失格者、有害な人間とみなします。
そのような人は、
どのような生活にも職業にも無用な存在とされます。
その人のことは考慮もされず、知られもしません。
その人と知り合いになろうとする人もいません。
それに引き換え、偽善者は皆の注目を一身に集めます。
このような目にまだ遭ってはいない人、
言葉や仕事や助言や考えについて
「愚かで悪質だ」と決め付けてくる敵がいない人、
こういう人はまだキリストの御許に来てはいないのです。
  
  
キリストの御国が来る時には、
それに伴って聖なる十字架もやって来ます。
それは、その十字架と通して信仰が鍛えられていくためです。
十字架のもたらす「悲嘆」は実は、
「新しい人」が生まれ「古い人」が消え去っていくような
「誕生」なのです。
  
  
主は、
御自身が担われた十字架を私たちも担うように、
とは命じておられません。
そうではなく、
皆がひとりひとり自分自身の「十字架」を担うようにと、
主は言われています。
人にはそれぞれ、自分の力に応じて、
(その人に合った)十字架が用意されています。
なぜなら、
私たちは信仰や霊的なことがらに関して同じではないので、
皆が同じことを苦しむことができないからです。