世の怒りを何か異常なことだとは思わないようにしなさい!
(「ペテロの第一の手紙」4章12節)(その3)
恵みとキリストの中で生きている人は侮られます。
誰もその人を尊敬しません。
それどころか、皆がその人を馬鹿にし、
人々が普通やり遂げるあらゆる仕事に関して、
無能な失格者、有害な人間とみなします。
そのような人は、
どのような生活にも職業にも無用な存在とされます。
その人のことは考慮もされず、知られもしません。
その人と知り合いになろうとする人もいません。
それに引き換え、偽善者は皆の注目を一身に集めます。
このような目にまだ遭ってはいない人、
言葉や仕事や助言や考えについて
「愚かで悪質だ」と決め付けてくる敵がいない人、
こういう人はまだキリストの御許に来てはいないのです。
キリストの御国が来る時には、
それに伴って聖なる十字架もやって来ます。
それは、その十字架と通して信仰が鍛えられていくためです。
十字架のもたらす「悲嘆」は実は、
「新しい人」が生まれ「古い人」が消え去っていくような
「誕生」なのです。
主は、
御自身が担われた十字架を私たちも担うように、
とは命じておられません。
そうではなく、
皆がひとりひとり自分自身の「十字架」を担うようにと、
主は言われています。
人にはそれぞれ、自分の力に応じて、
(その人に合った)十字架が用意されています。
なぜなら、
私たちは信仰や霊的なことがらに関して同じではないので、
皆が同じことを苦しむことができないからです。