2012年11月26日月曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 汚れた心はきれいにしなければなりません!(その1)


汚れた心はきれいにしなければなりません!(その1)

私たちの心は、
自分が取るに足りない存在になってしまうことや、
キリストお一人がすべてを成し遂げてくださったことを、
認めようとはしないものです。
自分でもいつも何かやりたいし、
自分で神様にお仕えして、その「報酬」として、
神様が私たちを顧みて、私たちを憐れみ、
私たちの罪を赦してくださるように、
と望むものです。
しかし、そうすることによって、
私はキリストも信仰も否定してしまうことになります。
このような「汚れ」から人は誰も解放されないことに、
誰しも気付くことでしょう。
福音を迫害する人々がいます。
しかし、福音を迫害せず、
それとは反対に福音を説教し告白する私もまた、
自身がそうあるべきであると望んでいるほどには、
福音をまるごと心の中に受け入れることができていません。
なぜなら、たとえ福音を信じていても、
自分の力を誇る次のような考えが心に忍び込んでくるからです、
「そうそう、お前はあれやこれやよいことをいろいろやってきたし、
祈ってきたし、説教してきたし、
他の人たちに仕えて、彼らを助けてきたよな」。
そして、この「汚れ」が、
本来はキリストが支配してくださるはずの私の心の中に入り込み、
キリストの御座を汚そうとけしかけるのです。