2011年10月5日水曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 創世記22章18節

 
地のすべての国民は
あなたの種(「子孫」)によって祝福を受けることになります。
(「創世記」2218節)
  
使徒パウロや預言者は皆、
神様のこの御言葉を心から賛美していますが、
それは当然です。
  
この御言葉によって
アブラハムや彼の子孫は皆救われて幸せになったし、
今を生きる私たちも皆その御言葉を通して
救いの幸せにあずかることになるからです。

なぜなら、
キリストはその御言葉の中におられ、
その御言葉によって全世界の救い主であることが明らかに示されているからです。
これこそがあの「アブラハムの懐」です(「ルカによる福音書」1623節)。
そこには、
キリストの誕生前に救いの幸せにあずかったすべての人々が住んでいます。
 
もしもこの御言葉がなかったなら、
たとえあらゆるよいわざを行ったとしても、
誰一人救われなかったことでしょう。
 
さらにここで私たちが気付くのは、
旧約の時代に生きていた父祖や預言者は皆、
私たちと同じ信仰と福音をもっていた
ということです(「コリントの信徒への第一の手紙」101節以降)。
アブラハムの懐の中で
彼らは皆、神様に頼って堅い信仰に留まり、救われました。
 
彼らと私たちの違いは、
彼らがやがて来るべき約束された種(「子孫」)を信じていたのに対して、
私たちはすでに啓示され与えられている種を信じている、
という点です。
 
しかし、約束は同じであり、厳粛なものです。
信仰は同じ、御霊は同じ、主キリストは昨日も今日も永遠に同じです
(「ヘブライの信徒への手紙」138節)。