2011年3月3日木曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」7月16日~20日

  
716

信じた者の群れ心と魂はひとつでした。そして、自分の持ち物のうちの何かしらでも「自分のものだと言い張ったりする人はひとりませんでした。彼らすべてのもの共有していました
使徒の働き432節)

今の世の中ではこのようなやり方はうまく機能しないしょう。まっとうな仕事によって生活費を稼ぐことよりも、他人を利用して楽して生きるほうを望む人が多いからで所有物を共有する制度は、私たちの働きかけにもかかわらず、仕事をやらずにお金だけを不当に要求するような不信者悪人助ける結果を招くことでしょう。



717

神様の御心はあなたたちが聖くなり、姦淫を避けることで。(中略)誰も自分の行いによって自分の兄弟損害を与えてはいけません。私たちがあなたたちに前もって厳重に警告しておいたように、神様はこれらすべてのことについて報復なさるからで
テサロニケの信徒への第の手紙43、6~7節)

もしもあなたが何かを暴力や不正によって奪取するならば、誰かがあなたに同じことをするでしょう。神様は強盗を他の強盗によってたいへん上手に懲らしめなさいます。もしそうでなければ、私たちはいったいどこから絞首刑に必要なだけの木や縄を得ることができることでしょうか。



718

あなたは義しすぎてはなりません。また賢すぎてもいけません。あなたはどうして自分を滅ぼしてよいでしょうか。悪すぎてはなりません。また愚かすぎてもいけません。あなたはどうして自分のが来ないうちに死んでもよいでしょうか。
コヘレトの言葉71617節)

私はクリスチャンにふさわしい生活がどのようなものであるかよくわかっている弟子たちが欲しいです。しかし、彼らには何についても一致した意見がありません神様をないがしろにして生活したがっている者もおり、聖すぎる生活を望んでいる者もいます。私の言っている意味は、わかる者にはわかるでしょう!私たちにできるのは言葉で叱責することだけでしかし、神様がそれを彼らの刻んでくださらなければなりません



719

もしも私たちが自分は罪がないと言うならば、私たちは自分を欺いており真理は私たちの中にはありません。もしも私たちが自分の罪を告白するならば、神様は真実で義しいお方ので、私たち赦しを与えてくださり、私たちをあらゆる不義から清めてくださいます
ヨハネの第の手紙189節)

私たちは誰が正しいクリスチャンか、良心以外によっては識別できません。正しいクリスチャンも罪に落ち込むことがありうるし、クリスチャンのふりをしている者たいへん立派に生活していることあるからで



720

から、立っていると思っている者は倒れないように注意しなさい。
コリントの信徒への第の手紙1012節)

いろいろな躓きがやってくることを、私は十分すぎるほど知っています。人罪に落ち込んだ後にまた罪から立ち上がるようになるのは、不思議なことです。ペテロが罪に陥ったのは自分が人間にすぎないことを理解するためでた。そのが天に届かんばかりのレバノンの杉の木々は倒れます。楽園で天使やアダムが罪に落ちたのは、奇跡の中の奇跡で。そういうわけですから、かよわい葦が嵐で折れてしまうのは、いったい不思議なことでしょう