7月16日
信じた者の群れの心と魂はひとつでした。そして、自分の持ち物のうちの何かしらでも「自分のものだ」と言い張ったりする人はひとりもいませんでした。彼らはすべてのものを共有していました。
(「使徒の働き」4章32節)
今の世の中ではこのようなやり方はうまく機能しないでしょう。まっとうな仕事によって生活費を稼ぐことよりも、他人を利用して楽して生きるほうを望む人が多いからです。所有物を共有する制度は、私たちの働きかけにもかかわらず、仕事をやらずにお金だけを不当に要求するような不信者や悪人を助ける結果を招くことでしょう。
7月17日
神様の御心はあなたたちが聖くなり、姦淫を避けることです。(中略)誰も自分の行いによって自分の兄弟に傷や損害を与えてはいけません。私たちがあなたたちに前もって厳重に警告しておいたように、神様はこれらすべてのことについて報復なさるからです。
(「テサロニケの信徒への第一の手紙」4章3、6~7節)
もしもあなたが何かを暴力や不正によって奪取するならば、誰かがあなたに同じことをするでしょう。神様は強盗を他の強盗によってたいへん上手に懲らしめなさいます。もしそうでなければ、私たちはいったいどこから絞首刑に必要なだけの木や縄を得ることができることでしょうか。
7月18日
あなたは義しすぎてはなりません。また賢すぎてもいけません。あなたはどうして自分を滅ぼしてよいでしょうか。悪すぎてはなりません。また愚かすぎてもいけません。あなたはどうして自分の時が来ないうちに死んでもよいでしょうか。
(「コヘレトの言葉」7章16~17節)
私はクリスチャンにふさわしい生活がどのようなものであるかよくわかっている弟子たちが欲しいです。しかし、彼らには何についても一致した意見がありません。神様をないがしろにして生活したがっている者もおり、聖すぎる生活を望んでいる者もいます。私の言っている意味は、わかる者にはわかるでしょう!私たちにできるのは言葉で叱責することだけです。しかし、神様がそれを彼らの心に刻んでくださらなければなりません。
7月19日
もしも私たちが「自分には罪がない」と言うならば、私たちは自分を欺いており、真理は私たちの中にはありません。もしも私たちが自分の罪を告白するならば、神様は真実で義しいお方なので、私たちの罪の赦しを与えてくださり、私たちをあらゆる不義から清めてくださいます。
(「ヨハネの第一の手紙」1章8~9節)
私たちは誰が正しいクリスチャンか、良心以外によっては識別できません。正しいクリスチャンも罪に落ち込むことがありうるし、クリスチャンのふりをしている者がたいへん立派に生活していることもあるからです。
7月20日
ですから、立っていると思っている者は倒れないように注意しなさい。
(「コリントの信徒への第一の手紙」10章12節)
いろいろな躓きがやってくることを、私は十分すぎるほど知っています。人が罪に落ち込んだ後にまた罪から立ち上がるようになるのは、不思議なことです。ペテロが罪に陥ったのは「自分が人間にすぎない」ことを理解するためでした。その梢が天に届かんばかりのレバノンの杉の木々は倒れます。楽園で天使やアダムが罪に落ちたのは、奇跡の中の奇跡です。そういうわけですから、かよわい葦が嵐で折れてしまうのは、いったい不思議なことでしょうか?