8月1日
兄弟である皆さん、アブラハムの子孫の方々、そしてあなたがたの中で神様を畏れている方々、私たちにこの救いの御言葉は送られたのです。
(「使徒の働き」13章26節)
パウロがここでキリストについて宣べ伝えている、御言葉に含まれている解放と救いは、自分たちが神様の子供でありつづけ、キリストの御国が自分たちの中にあることを知るために、私たちが知っておかなければならない最高の教えです。それは救いと平和の御言葉であり、確実に救いと平和をもたらします。なぜなら、それは神様が与えてくださるものだからです。
8月2日
それとも、神様の善性があなたを悔い改めへと導くことを知らないで、その善性と忍耐と自制[1]との富をあなたは軽んじるのですか?あなたのかたくなな悔い改めのない心のゆえに、神様の義が現れる「怒りの日」の怒りをあなたは自分の上に積み上げてきているのです[2]。
(「ローマの信徒への手紙」2章4~5節)
もしもあなたが神様の御言葉やその戒めをあたかもそれらが冗談であるかのように軽んじるならば、神様の温もりなしで生きるあなたがどんな目に遭うか、想像がつきます。憐れみのない裁きの神様よりも、憐れみ深く平和を賜り祝福してくださる神様の方が、あなたにとってよりよいお方ではありませんか。
8月3日
その日、エルサレムにある教会に対して大迫害が起こり、使徒以外の者は皆ユダヤとサマリアとの地方に散らされました。(中略)ところがサウロは家々に押し入って教会を暴力的に荒らしては[3]、男も女も引きずり出しては牢屋に入れていました[4]。
(「使徒の働き」8章1節後半、3~4節)
暴君どもは福音に対して怒り狂い、炭の火に空気を送り込むような真似をしますが、それでどんどん激しく火が燃えて、終いには彼ら自身がその目に灰と煙を受けることになります。
8月4日
そこで(イエス様は)言われました、「あなたたちには神様の御国の奥義を知ることが許されていますが、他の人たちには譬によって、それが知らされているのです。それは、見ている者が見ず、聞いている者が理解しないようにするためです」。
(「ルカによる福音書」8章10節)
私たちは自分たちの理解を超えて隠されている秘密を「奥義」と呼びます。神様の御国にも奥義があります。パウロも言っているように、私たちに示してくださったあらゆる恵みと共に「キリスト」がその奥義です。キリストを知っている者は、神様の御国とは何であり、何がその中に入っているか、を知っています。これが奥義と名づけられているものなのです。それは霊的な秘密であり、聖霊様がそれについて告げてくださらなければ秘密として留まりつづけるからです。
8月5日
天の御国は畑に隠してある宝のようなものです。人はそれを見つけると隠しておき、喜びながら行って持ち物すべてを売り払い、その畑を買うのです。
(「マタイによる福音書」13章44節)
キリストが私たちに挨拶してくださるだけでも、大きな栄光であり宝です。しかし、キリストが与えてくださる罪の赦しと、死や悪魔や地獄からの解放は、さらに貴い宝です。この宝を通して、キリストは私たちの心を照らし、私たちを新しく創造してくださいます。私たちは決してこの宝の中身を言葉によっては十分に表現できません。