2011年3月18日金曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」8月6日~10日


 
86

また(イエス様は)言われまし「何に天の御国を譬えましょうか。それはパン種のようなもので。女がそれを取って3サトンの粉に混ぜると、全体が膨らんできます
ルカによる福音書132021節)

この世から福音を滅ぼし去るのは、膨らんだパンの生地からパン種を分けるのと同じくらい不可能なことで。生地はもう膨らんでいます。悪魔はパン種を生地から分けることができません。煮たり焼いたり焦がしたり浸したりしたとしても無理です。救いに与っている者たちが皆、余すところなく膨らむようになるまで、「キリスト・パン種は終わりの日まで生地に留まりつづけます



87

そして神様は第7日を祝福なさり、聖とされました。その日に神様が創造なさったすべてのみわざから休まれたからで[1]
創世記23節)

アダムは、かりに彼が罪にまみれなかった場合であっても、安息日を聖としたことでしょう。その日に彼は自分の子孫たちに神様の御心を説明し、礼拝について教え神様を賛美し感謝したことでしょう。



88

その人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブの腿のつがいにさわったので、その人と組み打ちするうちにヤコブの腿のつがいがはずれました。その人は言いまし「夜明けが来たから私を去らせなさい」ヤコブは言いまし「私を祝福してくださらなければ、私はあなたを去らせません」その人はヤコブに言いまし「あなたの名前は何ですか」ヤコブは言いまし「ヤコブです」その人は言いまし「あなたの名前はもはやヤコブと言われず、イスラエルと言われるでしょう。なぜなら、あなたは神様とも人とも戦って勝ったからでヤコブは尋ねて言いまし「あなたの名前をぜひ知らせてください」その人は言いまし「どうしてこのようにあなたは私の名前を尋ねるのですか」そしてその場でヤコブを祝福しました。
創世記322632節)

天使がヤコブと戦っているときに、どのようにしてヤコブの腿の付け根を打ってその腿のつがいがはずれたかこの聖書の箇所は語っています。これによってヤコブの精力は打ち砕かれ消え去りました。その後死ぬまでずっとヤコブはびっこを引き、足萎え呼ばれました。しかし、ヤコブはまたイスラエルでもありました。そして、その意味はあらゆる仇名よりも大切でた。この世があなたにどのようなレッテルを貼ろう、気にしないようにしなさい。あなたは神様の子供なのだから。



89

私たちは知られていないようでありながら知られており、死んでいるようでありながら見よ生きており、懲らしめられているようでありながら殺されてはおらず悲しんでいるようでありながらいつも喜んでおり、貧しいようでありながら多くの人を富ませ、何も持っていないようでありながらすべてを自分のものとしています
コリントの信徒への第の手紙6910節)

キリストを信じている者は、貧しさのなかにも豊かさを見、辱めのなかにも栄光を見、嘆きのなかにも喜びを見、死のなかにも命を見、これらを待ち望みつつ神様の御言葉に密着する信仰によってこれらを自分のものとしています



810

なぜなら、主は義なる者たちの道を知っておられ、不義なる者たちの道は滅びることになるからで。(詩篇16節)

いたるところで人々は義なる人の道を捨ててそれをさげすみ神様もその道を知らないだろうなどとうそぶいていますそれは、信仰と知識とが「十字架の知恵」だからです。神様おひとりが義なる人々の道を知っておられます。その道は義なる人々からも隠されています。神様の右の手が彼らを奇跡のように導いていきます。それは感情や理性の道ではなく信仰の道」です。この道は暗闇の只中を貫通し、そこで私たち見えないものを見ることになるのです。


[1] あるいは「みわざを終えられたからである」。