8月6日
また(イエス様は)言われました、「何に天の御国を譬えましょうか。それはパン種のようなものです。女がそれを取って3サトンの粉に混ぜると、全体が膨らんできます」。
(「ルカによる福音書」13章20~21節)
この世から福音を滅ぼし去るのは、膨らんだパンの生地からパン種を分けるのと同じくらい不可能なことです。生地はもう膨らんでいます。悪魔はパン種を生地から分けることができません。煮たり焼いたり焦がしたり浸したりしたとしても無理です。救いに与っている者たちが皆、余すところなく膨らむようになるまで、「キリスト・パン種」は終わりの日まで生地に留まりつづけます。
8月7日
(「創世記」2章3節)
アダムは、かりに彼が罪にまみれなかった場合であっても、安息日を聖としたことでしょう。その日に彼は自分の子孫たちに神様の御心を説明し、礼拝について教え、神様を賛美し感謝したことでしょう。
8月8日
その人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブの腿のつがいにさわったので、その人と組み打ちするうちにヤコブの腿のつがいがはずれました。その人は言いました、「夜明けが来たから私を去らせなさい」。ヤコブは言いました、「私を祝福してくださらなければ、私はあなたを去らせません」。その人はヤコブに言いました、「あなたの名前は何ですか」。ヤコブは言いました、「ヤコブです」。その人は言いました、「あなたの名前はもはやヤコブと言われず、イスラエルと言われるでしょう。なぜなら、あなたは神様とも人とも戦って勝ったからです」。ヤコブは尋ねて言いました、「あなたの名前をぜひ知らせてください」。その人は言いました、「どうしてこのようにあなたは私の名前を尋ねるのですか」。そしてその場でヤコブを祝福しました。
(「創世記」32章26~32節)
天使がヤコブと戦っているときに、どのようにしてヤコブの腿の付け根を打ってその腿のつがいがはずれたか、この聖書の箇所は語っています。これによってヤコブの精力は打ち砕かれ消え去りました。その後死ぬまでずっとヤコブはびっこを引き、「足萎え」と呼ばれました。しかし、ヤコブはまた「イスラエル」でもありました。そして、その意味はあらゆる仇名よりも大切でした。この世があなたにどのようなレッテルを貼ろうと、気にしないようにしなさい。あなたは神様の子供なのだから。
8月9日
私たちは知られていないようでありながら知られており、死んでいるようでありながら見よ生きており、懲らしめられているようでありながら殺されてはおらず、悲しんでいるようでありながらいつも喜んでおり、貧しいようでありながら多くの人を富ませ、何も持っていないようでありながらすべてを自分のものとしています。
(「コリントの信徒への第二の手紙」6章9~10節)
キリストを信じている者は、貧しさのなかにも豊かさを見、辱めのなかにも栄光を見、嘆きのなかにも喜びを見、死のなかにも命を見、これらを待ち望みつつ、神様の御言葉に密着する信仰によって、これらを自分のものとしています。
8月10日
なぜなら、主は義なる者たちの道を知っておられ、不義なる者たちの道は滅びることになるからです。(「詩篇」1篇6節)
いたるところで人々は義なる人の道を捨ててそれをさげすみ、「神様もその道を知らないだろう」などとうそぶいています。それは、信仰と知識とが「十字架の知恵」だからです。神様おひとりが義なる人々の道を知っておられます。その道は義なる人々からも隠されています。神様の右の御手が彼らを奇跡のように導いていきます。それは「感情や理性の道」ではなく「信仰の道」です。この道は暗闇の只中を貫通し、そこで私たちは見えないものを見ることになるのです。