2011年3月24日木曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」8月16日~20日

   
816

あなたは立ち上がりシオンを憐れまれるでしょう。
詩篇1024節前半)

私はあなたのみもと参ることができません。それゆえ、私の神様、立ち上がり私のところに来て、私をみもとにお連れください。「立ち上がる」とは神様が人となられたという、最も麗しく恵み深い事実を意味しています。このようにして神様は私たちをみもともちあげるために私たちのところに来られました。そして、御自分の民シオンを憐れんでくださいました。



817

主を畏れることは知恵の始まりで。このように者にはすぐれた洞察力があります。主の賛美は永遠に不変で
詩篇11110節)

学問や芸術の領域では多くを見聞した者が専門家になれるわけでが、神学や霊的な知恵の領域では、見聞や探究は無益であり、専門家に要求される大切な唯一の基準神様の御言葉を聴いて信じることで。何か他の基準をもつ者は道を踏み外します。そのようなは、たとえこの世のあらゆる知恵に精通していたとしても、何もできず正しく説教することもできません



818

あなたたちが罪の奴隷であったとき、あたたたちは義に対して自由でた。(中略)しかし今やあなたたちは罪から自由になって神様に対して隷属し、最終的には永遠の命へと至る聖化のための、自分たちの実を結んでいるので。罪の報酬は死でが、神様の恵みは私たちの主イエス・キリストにおける永遠の命で
ローマの信徒への手紙620節、2223節)

よい行いによって神様に受け入れていただける人は誰もいませんよい行いは神様のご好意を得て初めて可能になるのです私たち神様に受け入れていただけるという信仰がよい行いを生み出すのであって、行いが信仰をもたらすのではありません



819

彼らに対して一瞬たりとも私たちは一歩も譲りませんでした。それは、福音の真理があなたたちのところに留まりつづけるためで
ガラテアの信徒への手紙25節)

ここで福音の真理とは福音の内容や意図ではなく、福音の正しい使用法であることに注目するべきです。福音の真理とは、すべては清い者にとって清く、戒めは死んでいて誰をも強制できないので、救われとされるためには何の行い必要ないこ知ること」にほかならないからで。私たちは戒め」(十戒など)あたかもそれが存在しないがごとくしかし愛に基づいて守ってゆこうではありませんか



820

彼(御座に座っておられる方)は私にこう言われまし「それらは実現しました。私はアルファでありオメガで。はじめでありおわりで。私は渇いている者に命の水の泉から(水を)ただで与えるでしょう」
ヨハネの黙示録216節)

この井戸は涸れることがありません。それは恵みと真理に満ちており、どんなにたくさん汲んだとしても少しも減りません。私たちが皆一斉に汲んだとしても、空っぽになりません。それはいつでもあらゆる恵みと真理の永遠無限の泉、底のない井戸で。そこから汲めば汲むほど、それだけいっそう豊かに永遠の命へと途切れることなく流れ行く水が懇々と湧き出てくるので