2011年3月9日水曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」7月26日~30日

 
726

彼らと同じく私たちにも福音が伝えられたので。しかし、御言葉を聞いても、それは彼らにとっては無益でた。福音を聞いた者たち[1]福音とが信仰によってひとつに混じり合わなかったからで[2]
ヘブライの信徒への手紙42節)

神様が望んでおられるのは、あたかも波の泡か口内の唾のように私たちが御言葉を口ずさむだけではなくまるで自然に生え育ってきたかのような決して消失しない記念碑として私たちが御言葉を心に深く刻むことで



727

その預言者や夢みる者の言葉に聞き従ってはなりません。あなたたちの神様である主は、あなたたちが御自分を心を尽くし魂を尽くして愛しているかどうか知るために試みられるからで。あなたたちの神様である主のあとについて行き、を畏れ、の命令を守り、の声に聞き従い、に仕え、しっかりつながっていなければなりません
申命記1345節)

この言葉は怒っている裁判官の言葉ではなく、父親にふさわしい言葉で。神様はこう言われたいのです、「私はあなたに私の御言葉を与えました。それはあなたが御言葉を快くまた落ち着いて受け入れて、守り抜くためで。しかしあなたが本当に私を愛しているか、また私の御言葉を守り抜くか、を試験するために私は偽預言者を送り込みます



728

この後、イエス様はすべてが既に成し遂げられたことを知って、聖書が成就するために「私は渇く」と言われました。そこには酸いぶどう酒のいっぱい入った器がありました。人々は酸いぶどう酒をしみこませた海綿をヒソプに結んでイエス様の口元に差し出しました。すると、イエス様はその酸いぶどう酒を受けて「成し遂げられた」と言われ、頭をたれて霊をお渡しになりました。
ヨハネによる福音書192830節)

それは成し遂げられました。神様の小羊はこの世の罪のためにほふられ、犠牲として捧げられました。真の大祭司は犠牲を捧げるという御自分の仕事をやり遂げられました。神様の御子は御自分のからだと霊を差し出して罪の代価としてそれを捧げたので。罪は滅ぼされ、神様の怒りは鎮められました。死は敗北し、天国が確保され、天かれたので



729

義しい者はひとりもいません。知恵のある者もいません、神様を捜し求めている者もいません。皆一様に道を踏み外し、神様に対してふさわしくない者に成り果てました。よいことを行う者はいません、ひとりも。
ローマの信徒への手紙310(後半)~12節)

神様は義や正しさや命や力をから見出されません。神様がれらすべてを私たちに与えてくださるのです。あなたに義や命や力や強さが欠けているときに、疑いにとらわれてはなりません。あなたは自分の悪さをより深く知れば知るほど自分の目にあなた自身がより悪く映れば映るほど、それだけ速やかに神様はあなたに恵みを与えてくださいます



730

お祝いの大切な終わりの日に、イエス様は立って叫んで言われまし「誰でも渇く者は私のところに来て飲みなさい。私を信じている者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から活きている水がとなって流れ出るでしょう」
ヨハネによる福音書73738節)

イエス様は限りも終わりもない、満ち満ちたお方です。あなたがたこの方を臆することなく汲み出して、喜びに浸りながら飲みなさい。この満ち満ちた有り余る豊かさは永遠に涸れることがありませんですから、あなたがたイエス様に永遠に感謝し賛美するのが当然なのです。
 
 
 
731

この方御自分に属するものたち」のところへ来られました。しかし、彼らこの方を受け入れませんでした。すべてこの方を受け入れた人々、すなわちこの方の御名を信じている人々に、この方神様の子供になる権能をお授けになりました。彼ら血によらず、肉の意志によらず、また人の意志にもよらず、神様から生まれたので
ヨハネによる福音書11113節)

信仰は私たちの中における神様のみわざで。信仰は私たちを変え、新しく生み古いアダムを殺し、心や思いや力に関して私たちを新しい人間にし、私たちに聖霊様を与えてくださいます




[1] アオリスト分詞。
[2] 完了分詞。