7月26日
(「ヘブライの信徒への手紙」4章2節)
神様が望んでおられるのは、あたかも波の泡か口内の唾のように私たちが御言葉を口ずさむだけではなく、まるで自然に生え育ってきたかのような決して消失しない記念碑として私たちが御言葉を心に深く刻むことです。
7月27日
その預言者や夢みる者の言葉に聞き従ってはなりません。あなたたちの神様である主は、あなたたちが御自分を心を尽くし魂を尽くして愛しているかどうか知るために試みられるからです。あなたたちの神様である主のあとについて行き、主を畏れ、主の命令を守り、主の声に聞き従い、主に仕え、しっかりつながっていなければなりません。
(「申命記」13章4~5節)
この言葉は怒っている裁判官の言葉ではなく、父親にふさわしい言葉です。神様はこう言われたいのです、「私はあなたに私の御言葉を与えました。それはあなたが御言葉を快くまた落ち着いて受け入れて、守り抜くためです。しかし、あなたが本当に私を愛しているか、また私の御言葉を守り抜くか、を試験するために私は偽預言者を送り込みます」。
7月28日
この後、イエス様はすべてが既に成し遂げられたことを知って、聖書が成就するために「私は渇く」と言われました。そこには酸いぶどう酒のいっぱい入った器がありました。人々は酸いぶどう酒をしみこませた海綿をヒソプに結んでイエス様の口元に差し出しました。すると、イエス様はその酸いぶどう酒を受けて「成し遂げられた」と言われ、頭をたれて霊をお渡しになりました。
(「ヨハネによる福音書」19章28~30節)
それは成し遂げられました。神様の小羊はこの世の罪のためにほふられ、犠牲として捧げられました。真の大祭司は「犠牲を捧げる」という御自分の仕事をやり遂げられました。神様の御子は御自分のからだと霊を差し出して罪の代価としてそれを捧げたのです。罪は滅ぼされ、神様の怒りは鎮められました。死は敗北し、天国が確保され、天が開かれたのです。
7月29日
義しい者はひとりもいません。知恵のある者もいません、神様を捜し求めている者もいません。皆一様に道を踏み外し、神様に対してふさわしくない者に成り果てました。よいことを行う者はいません、ひとりも。
(「ローマの信徒への手紙」3章10(後半)~12節)
神様は義や正しさや命や力を誰からも見出されません。神様がこれらすべてを私たちに与えてくださるのです。あなたに義や命や力や強さが欠けているときに、疑いにとらわれてはなりません。あなたは自分の悪さをより深く知れば知るほど、自分の目にあなた自身がより悪く映れば映るほど、それだけ速やかに神様はあなたに恵みを与えてくださいます。
7月30日
お祝いの大切な終わりの日に、イエス様は立って叫んで言われました、「誰でも渇く者は私のところに来て飲みなさい。私を信じている者は、聖書に書いてあるとおり、そのお腹から活きている水が川となって流れ出るでしょう」。
(「ヨハネによる福音書」7章37~38節)
イエス様は限りも終わりもない、満ち満ちたお方です。あなたがたはこの方を臆することなく汲み出して、喜びに浸りながら飲みなさい。この満ち満ちた有り余る豊かさは永遠に涸れることがありません。ですから、あなたがたはイエス様に永遠に感謝し賛美するのが当然なのです。