2011年3月7日月曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」7月21日~25日

   
721

このように、あなたたちは主イエス・キリストを受け入れたのだから、主にあって歩みなさい。主に根ざし主にあって建てられ、あなたたちが教えを受けたように信仰によって強めていただきなさい。感謝に溢れなさい[1]。キリストにではなく人間の言い伝えやこの世の諸霊に基づいている哲学や空虚な騙しごとによって、誰もあなたたちを虜にしないように注意しなさい。
コロサイの信徒への手紙268節)

私はたしかに聖書の博士ですが、子供の信仰主の祈り洗礼聖餐を深く研究すればするほど、よりよくそれらの素晴らしさが味わえるようになる、と告白したいと思います



722

そのときイエス様は答えて言われました、「子供たちのパンを取って子犬たちに投げ与えるのはよくないことです女は言いました、「はいそうです、主よ、それ、子犬たちはその主人の食卓から落ちてくるパンくずをいただくのです」
マタイによる福音書152627節)

御言葉によっは皆罪人であると告げてくださった神様が正しいのならば神様がすべての罪人に与えてくださる権利、すなわち罪の赦しをいただけるという権利をあなたも用いてよいので。そのときにあなたは、子犬とは違って、食卓から落ちてくるパンくずだけを食べるのではありません希望通りにあなたは神様の子供なのであり、神様はあなたのものなので



723

蛇がその狡さによってエヴァを騙したように、あなたたちの思いがキリストに対する単純さと清純さから離れて、汚されてしまうのではないかと私は懼れています
コリントの信徒への第の手紙113節)

それゆえ、神様の御言葉はいつもあなたの心耳にあるべきなのです。心がたるんでいて御言葉を聴かない場合には、蛇が来て気がつかないうちに私たちを傷つけてしまうからです。それに対して御言葉は、それが真面目に聴かれ研究され心にしまわれた場合には、実を結ばないままにはならず、心と考えをきれいにしてくれる新鮮な理解や意志や熱心さを常にもたらします



724

私の子供たちよ、私があなたたちにこれを書くのは、あなたたちが罪に陥らないためで。そして、もしも誰かが罪に陥った場合でも、私たちにはお父様の御許に守り主、義なるイエス・キリストがおられますこの方は私たちの罪のための贖いのささげものそれは、私たちの罪のためばかりではなくこの世すべての罪のため(のささげもの)でもあります
ヨハネの第の手紙212節)

神様があたかもあなたを見捨てようとして怒っているように見えるときにはこう言いなさい「憐れみ深い神様、まず『身代金』である、あなたの愛する御子を見捨ててください!あなたは御子を見捨てたりはなさらないのでしょう!」



725

それともあなたたちは、聖書が意味もなく「神様は私たちの中に住まわせた御霊をねたむほどに慕っておられる」と言っていると思うのですか。神様はそれよりも大いなるもの、すなわち恵みを与えてくださるので。それゆえ聖書は「神様は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを与えてくださる」と言っています。そういうわけでから、神様に従順でありなさい[2]。悪魔に立ち向かいなさい[3]。そうすれば悪魔はあなたたちから逃げていくでしょ神様に近づきなさい[4]。そうすれば神様もあなたたちに近づいてくださるでしょう。
ヤコブの手紙458節前半)

人間の理性にきれいに調和し喜びを与えるようなやり方を利用して常に悪魔は忍び寄ってきますそれで、それを信じる者が沢山いるので。悪魔と戦うためには御言葉にしっかりと結びついた高度に霊的な理解力が必要で。さもなければ、悪魔の手口を理解することも、打ち破ることもできません。


[1] 現在分詞。
[2] 受動相命令法第2アオリスト。
[3] 命令法第2アオリスト。
[4] 命令法第2アオリスト。