2020年2月19日水曜日

「力なき者に力を」「フィリピの信徒への手紙」1章9節「信仰の中での成長」

「信仰の中での成長」

私はこう祈ります。
あなたがたの愛が知識とあらゆる感覚において
いっそう増し加わっていきますように。
(「フィリピの信徒への手紙」1章9節)

多くの信仰者は信仰的な成長が途中で止まってしまいます。
彼らの霊的な信仰生活にはなんらの進歩も見られません。
こうして信仰が枯れ果てていくのです。

使徒はこう言います、
「私たちの主であり救い主である
イエス・キリストの恵みと知識とにおいて成長しなさい」
(「ペテロの第二の手紙」3章18節より)。
この成長は「大人」となるためのものです。

「私たち全員が
神様の御子を信じる信仰の一致と御子を知る知識の一致とに到達し、
大人となり、ついにはキリストの完全な成人性にまで至るためです。 
わたしたちはもはや子どもではないので、
悪巧みによって欺瞞の策略へと陥れる、
人々の「サイコロ遊び」のような多様な教えの風によって
吹きまわされ翻弄されたりせずに、 
愛にあって真理に従い、
かしらなるキリストへとあらゆる点において成長していくのです」
(「エフェソの信徒への手紙」4章13~15節)。
 
この成長は、
神様の御言葉を深く学び、正しく理解し、
御言葉の健全な教えによって(信仰が)強められていくことです。
御言葉の学び手として、主に自らを捧げた者として、
キリスト信仰者は恵みを必要とし、
またそれを自分のものとして
しっかり受け入れることを通して成長していきます。
それとともに、キリスト信仰者は
危険をよりよく察知し、神様の召しをよりよく理解し、
よりしっかりと救い主へ避けどころを求めるようになります。
 
自分の中でキリストが大きくなり、
自分自身はだんだん小さくなっていくときに、
キリスト信仰者は成長していきます。

洗礼、聖餐、神様の御言葉と恵みの中で、
キリスト信仰者は成長していくことができます。

(祈り)聖霊様、信仰と愛においてキリストの僕となれるように
私たちをキリストの恵みと知識の中で成長させてください。アーメン。
(関連聖句)「フィリピの信徒への手紙」1章3~11節

2020年2月12日水曜日

「力なき者に力を」「コロサイの信徒への手紙」1章17、18節より「第一位」

「第一位」

イエス様は万物よりも先に存在しておられ、
万物はイエス様に在って成立しています。
(中略)
それは、御自身がすべてのことにおいて第一位となるためです。
(「コロサイの信徒への手紙」1章17、18節より)

あるときアメリカ合衆国で数十人の著名な人物が
人類の歴史の中で最も大切だと思う出来事を百項目列挙するように
アンケートを依頼されたことがありました。
彼らの答えの中で上位を占めたのは、
アメリカ大陸の発見、印刷術やその他多くの人類の発明などでした。
イエス・キリストの十字架の死は他のいくつかの出来事と並んで第14位でした。

このアンケート調査ではイエス様が第14位になってしまったということです。
しかし、多くの人の生活の中では
イエス様はこれよりも低い順位になっているのが実情です。
私たちの生活の中ではどうでしょうか。
聖書によれば、イエス様はすべてにおいて第一位のお方です。
イエス様は万物よりも先に存在していたお方です。
イエス様は死者の中からよみがえられた最初のお方です。
イエス様は罪と死に勝利した唯一のお方であり、
罪深い私たちの唯一の救い主です。

イエス様だけが死んでいる者を活きた者とし、
目の見えない者を目が見えるようにし、
神様の敵を神様の友としてくださいます。
イエス様だけが律法の裁きを取り除き、
変わらぬ平和と希望、また永遠の命を与えてくださいます。

心や仕事や趣味や力を注ぐ対象として、
また隣り人や家族や時間やお金に関して、
私たちはイエス様をいったい何番目ぐらいに置いて生活しているのでしょうか。
はたしてイエス様がすべてにおいて第一位になっているでしょうか。

(祈り)愛する主イエス様、あなたが私たちにとって
すべてにおいて本当に第一位となるように、
どうか私たちの心を占拠してください。アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」14章7~9節

(訳者註 この本は1965年にまとめられたものです。)

2020年2月7日金曜日

「力なき者に力を」「マタイによる福音書」26章50節より「裏切り者」

「裏切り者」

友よ、何のためにここに来たのですか。
(「マタイによる福音書」26章50節より)

ダンテは「神曲」という本の中で
イスカリオテのユダのことを地獄でも皆に見捨てられた存在として描いています。
なぜなら、ユダはイエス様を裏切った者だからです。

主イエス様のおかげで人間という罪深い存在が
天の御国に入れていただけるというのに、
天の祖国と主イエス様のことを裏切った人が
今までどれほどたくさんいることでしょうか。

この世の祖国の裏切り者の例としては、
法律を破る者、他人を虐げる者、不信を増長する者、
人種同士や社会階層間の憎悪を煽る者、
また、祖国の繁栄と平和とを危険にさらす者などを挙げることができます。

それに対して、天の祖国の裏切り者とは、
福音を隠れ蓑にして普段は利益を追求しているくせに、
いざ主のために行動しなければならない時が来ると
こっそり隅に退いてしまう者のことです。

(語るべき時に)沈黙することによって、この裏切り者は
世の人々と一緒に(主を)軽蔑し侮辱するグループの側につくことになります。

洗礼、福音、聖餐、礼拝で説教する職務、教会での交わり、
そしてキリスト信仰者にとって聖なる尊いすべてのものを
捨て去った人々についてはいったい何と言えばよいでしょうか。

イエス様に口づけすることで
イスカリオテのユダが非情な裏切りの仕上げをしたとき、
イエス様は「友よ、何のためにここに来たのですか」と
愛をもって優しく彼に警告しました。

イエス様は裏切り者たちのことをも愛しておられます。
そして、彼らを御自分の恵みの中に迎え入れることを望んでおられます。
それゆえ、イエス様は人が裏切り者の暗路に迷い込もうとするときに
「友よ、何のためにここに来たのですか」と警告なさるのです。

(祈り)イエス様、私があなたに対して
終わりまで忠実であるようになさってください。アーメン。
(関連聖句)「ルカによる福音書」22章1~6節

2020年1月31日金曜日

「力なき者に力を」「エフェソの信徒への手紙」1章7節「神様の豊かな恵み」

「神様の豊かな恵み」

私たちは御子にあって神様の豊かな恵みを通してその血によるあがない、
すなわち罪過の赦しを受けています。
(「エフェソの信徒への手紙」1章7節)

罪の赦しはすべての人のために用意されています。
なぜなら、
全世界をあがなうためにキリストがその血を流してくださったからです。
このことを信じる人は皆のために用意されている罪の赦しを
自分のものとして受け取ることができます。

この罪の赦しはこの上なく豊かです。
なぜなら、それは神様の豊かな恵みによるものだからです。
この恵みの大きさを測ることはできません。
それは無限です。
恵みは人間自身の行いによる報酬とはまったく関係がありません。
すべての人が罪の赦しを自分のものとして受け取れるようにするために
恵みは豊かに満ちあふれ、すべての人のもとに押し寄せました。

恵みは救いのために与えられています。
恵みは律法に呪われている者(全人類)を
罪への隷属と永遠の罰から解放します。
恵みは罪との戦いで勝つ力を与えてくれます。
恵みは信仰者の食べ物、飲み物、住まい、衣服です。

今や私たちはもはや自分自身のためにではなく、
私たちのために死んでよみがえられた方のために生きているのです。

この神様の恵みにあずかれない人が誰もいなくなるようにするべきです。
罪の赦しは私たちがキリスト信仰者としてふさわしい生き方をするように
教えてくれます。
神様の恵みを無駄にせず、
その栄光を常に感謝して生き抜いて死を迎えることができるように、
神様の恵みを正しく受け取りましょう。

(祈り)主よ、あなたの大いなる恵みが
より勇敢な信仰とより燃える愛とを私の中に生じさせるために、
どうか私の眼差しを十字架の主へと常に向けさせてください。アーメン。
(関連聖句)「エフェソの信徒への手紙」1章1~7節

2020年1月24日金曜日

「力なき者に力を」「コリントの信徒への第一の手紙」3章17節「あなたは神殿です」

「あなたは神殿です」

もしも人が神殿をだめにするなら、
神様はその人をだめにすることでしょう。
なぜなら、神殿は聖なるものであり、
あなたがたはそのようなもの(神殿)だからです。
(「コリントの信徒への第一の手紙」3章17節)

御自分が神殿でありその中には神性が完全に宿っている、
とイエス様は言われました。
その神殿で人々は栄光の一切を心から神様に帰し、
御霊と真理において神様にお仕えしました。

誰であれキリスト信仰者の体は聖霊様の神殿、すなわち聖所です。
教会で私たちは聖日に神様を礼拝します。
自分の体という個人的な聖所で私たちは週を通じて神様を礼拝します。
心のうちにある秘められた祭壇で私たちは日々感謝を捧げます。
万象を造られた大いなる神様は
私の体を御自分のために聖なる神殿としてくださったのです。

罪に汚されたこの私の体が神様に受け入れていただける住まいとなるために、
イエス様の完全な愛、罪のない方の命、咎のない方の十字架の死が
要求されたのです。
洗礼の聖なる水によって
イエス様は私を御自分の聖所と定めてくださいました。
イエス様はその尊い血を私の心の祭壇に降り注ぎ、
私を良心の呵責から清めてくださいました。

この自分の体という神殿を主のために聖別されたものとして保ちましょう。
私たち自身の肢体と能力を神様の義の実現のために捧げて、
すべてにおいて神様が皆にほめたたえられるようにしましょう。
私たち自身の聖所の静謐の中で鎮まる機会を多く設けて、
捧げ物の炎が
私たちの「心の祭壇」から輝きわたり立ち昇ってくるようにしましょう。

(祈り)神様、どうか私に清い心を造り、新たな強い霊をお与えください。
アーメン。
(関連聖句)「コリントの信徒への第二の手紙」6章14~18節

2020年1月17日金曜日

「力なき者に力を」「出エジプト記」15章25節より「苦い水が甘くなる」

「苦い水が甘くなる」

主は彼(モーセ)に一本の木を示されました。
彼がそれを水に投げ入れると、水は甘くなりました。
(「出エジプト記」15章25節より)

神様がイスラエルに賜ることを約束された「約束の地」へ向かう旅の途中で、
イスラエルの民は水のない荒野を通って行かなければなりませんでした。
彼らはようやくマラの泉のところに着きましたが、
その水は苦くて飲めませんでした。
民は不平を訴え、モーセは主に叫びました。
主は一本の木を示され、モーセにそれを泉に入れるように命じられました。
モーセがその通りにすると、水は甘くなりました。

恵みにより、神様は私たちにも
この世の苦い水を甘くする一本の木を用意してくださいました。
イエス様が罪深い者たちのために死んでくださった
ゴルゴタの十字架がこの木です。
イエス様は私たちのために「苦しみの杯」を飲み干してくださいました。
そのおかげで、
十字架は私たちが本来飲むべき「苦しみの杯」を甘くする木になったのです。

イエス様の十字架は神様の恵みをはっきりと示す目印です。
イエス様は人が怒らせた神様と神様に反抗する人との間に平和を
十字架の血を通してもたらしてくださいました。
恵みと赦し、私たちの悲しみへの慰め、
そして私たちの傷への薬と病への助けが
十字架のもとから流れて来ます。
罪に対する神様の怒りが十字架を通して見えてきます。
その一方で、
罪深い者に対する神様の愛もまた十字架には見えます。
勝利の力と永遠の救いの確かな希望とが
十字架から発して信仰者の道を照らしています。

(祈り)主イエス様、私に対しても苦い杯を甘くして
信仰における平和と慰めと希望と喜びとで私の心を満たしてください。
アーメン。
(関連聖句)「列王記上」1章18~24節

2019年12月4日水曜日

「力なき者に力を」「エフェソの信徒への手紙」2章19節「聖徒の群れ」

「聖徒の群れ」

あなたがたはもはや異国人でも寄留者でもなく、
聖徒たちと同じ国籍の者であり神様の家族なのです。
(「エフェソの信徒への手紙」2章19節)

生来、人間は神様の恵みやイエス様とは親しみがなく、
神様の御国から遠いところにいます。

ところが、異国人でも寄留者でもない民がいます。
その民は聖徒たちと同じ国籍の者です。
キリストのうちにある、言葉では表せないほど豊かな恵みにより、
神様は彼らを聖なる者としてくださいました。
聖霊様は洗礼と信仰を通して彼らを新しく造ってくださいました。
彼らはキリストを信じる者、神様の子ども、
神様の御国の臣民、天国を継ぐ者なのです。

この聖徒の群れは天の御国への旅を続けています。
彼らはさまざまな民族、種族、
実に多様な社会的地位にある人々から構成されています。
彼らは互いに非常に異なっていますが、キリストにあってひとつなのです。
多くの人は貧しく、無名で、自分の十字架を負っています。
しかし、彼らは神様の民、祝福された民なのです。

天国への旅を続ける数え切れないほど多くの聖徒の群れが実際に存在します。
私たちもこのグループの一員となれるのは限りない恵みです。
もはや私たちは異国人でも寄留者でもなく、
聖徒たちと同じ国籍の者、神様の家族、
神様の瞳に等しいかけがえのない存在なのです。

(祈り)私たちを愛し、血によって罪から解放し、
父なる神様の王族また祭司としてくださったこの方に
栄光と力とがいつも永遠にありますように。アーメン。
(関連聖句)「ペテロの第一の手紙」2章9~10節