「苦い水が甘くなる」
主は彼(モーセ)に一本の木を示されました。
彼がそれを水に投げ入れると、水は甘くなりました。
(「出エジプト記」15章25節より)
神様がイスラエルに賜ることを約束された「約束の地」へ向かう旅の途中で、
イスラエルの民は水のない荒野を通って行かなければなりませんでした。
彼らはようやくマラの泉のところに着きましたが、
その水は苦くて飲めませんでした。
民は不平を訴え、モーセは主に叫びました。
主は一本の木を示され、モーセにそれを泉に入れるように命じられました。
モーセがその通りにすると、水は甘くなりました。
恵みにより、神様は私たちにも
この世の苦い水を甘くする一本の木を用意してくださいました。
イエス様が罪深い者たちのために死んでくださった
ゴルゴタの十字架がこの木です。
イエス様は私たちのために「苦しみの杯」を飲み干してくださいました。
そのおかげで、
十字架は私たちが本来飲むべき「苦しみの杯」を甘くする木になったのです。
イエス様の十字架は神様の恵みをはっきりと示す目印です。
イエス様は人が怒らせた神様と神様に反抗する人との間に平和を
十字架の血を通してもたらしてくださいました。
恵みと赦し、私たちの悲しみへの慰め、
そして私たちの傷への薬と病への助けが
十字架のもとから流れて来ます。
罪に対する神様の怒りが十字架を通して見えてきます。
その一方で、
罪深い者に対する神様の愛もまた十字架には見えます。
勝利の力と永遠の救いの確かな希望とが
十字架から発して信仰者の道を照らしています。
(祈り)主イエス様、私に対しても苦い杯を甘くして
信仰における平和と慰めと希望と喜びとで私の心を満たしてください。
アーメン。
(関連聖句)「列王記上」1章18~24節