2014年1月24日金曜日

「ルターの祈りの本」 主の祈り(その13)



悪より救い出したまえ。(その6)


このようなことを、
私はふだん「主の祈り」を祈るときに考えています。
今でも私は、子供のように「主の祈り」から乳を吸っていますし、
お年寄りのように、「主の祈り」から飲み、食べています。
それでいてちっとも飽きることがありません。
「主の祈り」は(私が深く愛している)「詩篇」よりも
さらに素晴らしい最高の祈りである、と私は思います。
本当に、「真の師匠」がそれを作り教えてくださったのです。

一番ひどいのは、
そのように素晴らしい師匠のそのすばらしい祈りが、
世界中で、不真面目に口先だけで唱えられている、
ということです。
一年の間に何千回も「主の祈り」を祈る人は、
おそらく大勢いることでしょう。
しかし、たとえ千年間にわたってそのように祈ったとしても、
彼らは
「主の祈り」を一語たりとも正しくは祈ることにはならないだろうし、
「主の祈り」の一滴さえも味わうことがないでしょう。

結論を言えば、
「主の祈り」は(神様の御名と御言葉と同じように)、
この世では「最も偉大な殉教者」なのです。
なぜなら、
人は皆それぞれが、「主の祈り」をよく考えもせずに誤用しているし、
それを正しく用いることで慰めと喜びを得る人は稀だからです。