2014年1月20日月曜日

「ルターの祈りの本」 主の祈り(その11)


悪より救い出したまえ。(その4)


それゆえ、一番大切なのは、
祈り始める前に心をほかのことからひきはなして、
祈りたくさせる、ということです。
(旧約聖書続編の)「ベン・シラの書」でも、
「あなたの心を祈りへ向けて整えなさい。
神様を試みたりしないためです」、
と言われています。

もしも口だけ動かして心は上の空だったとしたら、
それは神様を試みること以外のものではないでしょう。
あるカトリックの牧師が次のように祈りました。

「神様、あなたのお助けが私を守ってくださいますように。
使用人、もう馬にくつわはつけたか。
主よ、私を助けるために駆けつけてください。
娘、行って牛の乳絞りをしなさい。
父と御子に栄光あれ。
息子よ、早く来なさい。馬に乗って遊ぼう。(等々)」


このような祈りを私はローマ法王の教会で以前何度も聞かされました。
そのような「祈り」は神様を侮辱しています。
そんな祈りはやめて、
ほかにもっとよいことを思いつかないのならば、
遊んでいるほうがまだましです。
というのは、(カトリックの牧師として)私自身も
定められた祈りの時間に、たくさん祈りましたが、
詩篇や祈りの読誦が終わっても、
自分がそれらを読み始めたばかりなのか、
それとも途中まで読んだのかさえ、
わからない始末だったのです。