悪より救い出したまえ。(その4)
それゆえ、一番大切なのは、
祈り始める前に心をほかのことからひきはなして、
祈りたくさせる、ということです。
(旧約聖書続編の)「ベン・シラの書」でも、
「あなたの心を祈りへ向けて整えなさい。
神様を試みたりしないためです」、
と言われています。
もしも口だけ動かして心は上の空だったとしたら、
それは神様を試みること以外のものではないでしょう。
あるカトリックの牧師が次のように祈りました。
「神様、あなたのお助けが私を守ってくださいますように。
使用人、もう馬にくつわはつけたか。
主よ、私を助けるために駆けつけてください。
娘、行って牛の乳絞りをしなさい。
父と御子に栄光あれ。
息子よ、早く来なさい。馬に乗って遊ぼう。(等々)」
このような祈りを私はローマ法王の教会で以前何度も聞かされました。
そのような「祈り」は神様を侮辱しています。
そんな祈りはやめて、
ほかにもっとよいことを思いつかないのならば、
遊んでいるほうがまだましです。
というのは、(カトリックの牧師として)私自身も
定められた祈りの時間に、たくさん祈りましたが、
詩篇や祈りの読誦が終わっても、
自分がそれらを読み始めたばかりなのか、
それとも途中まで読んだのかさえ、
わからない始末だったのです。