2014年1月13日月曜日

「ルターの祈りの本」 主の祈り(その10)


悪より救い出したまえ。(その3)


あなたに知っておいて欲しいのは、
私はこれらの言葉をすべて祈りの中で口に出そうと思ってはいない、
ということです。
もしそうすれば、しまいには、
たんなる無意味なおしゃべりや文字を追うだけのようなもの
になってしまうからです。(中略)
私はただ、これらの言葉によって心を揺り起こして、
どのような考えが「主の祈り」の中に含まれているか、
私の心が学べるようにしたいだけなのです。
「主の祈り」について私が今まで述べてきた考えを、
私の心は、祈りたくなるように温まっている場合には、
他の言い方を用いても、より少ない言葉やより多い言葉によって、
上手に表すことができるのです。
私自身、これらの言葉に拘泥しません。
今日はこの言い方で、明日はまた別の言い方で、
どのように自分が祈りたいかに応じて、口に出して祈るからです。
そうやっても、私はできうる限り正確に、
いつも同じ考えと意見の範囲内に留まりながら、祈ることができます。
祈りの途中でいろいろな思いにとらわれて、
その時には「主の祈り」に含まれる他の6つの祈りを
とりあえずそのままにして、
ひとつの祈りに集中することも、時々あります。


もしもそのようなよい考えがたくさん与えられたときには、
ほかの祈りはわきへおいて、
それらの考えに場所をゆずらなければならないし、
心をしずめてそれらに耳を傾けることを妨げてはなりません。
そのようなときに説教してくださっているのは
聖霊様御自身なのであり、
そのような説教の中でのひとつの言葉だけでさえ、
私たちの千の祈りよりもよいものなのです。
そのようにして、私も、
たくさん読むことや考えることを通して得られる益よりも、
ひとつの祈りからより多くのことを学んだ、
ということがよくありました。