2011年4月6日水曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」9月6日~10日

 
 
96

私があなたがたにも伝えたことは、私主から受けたことです、すなわち、主イエスは渡される夜パンを取り祝福してこれを裂き言われました「これはあなたがたのための私の身体で。あなたがたは私の記念としてこれを行いなさい」また杯をも同じようにして食事の後言われまし「この杯は私の血における新しい契約で。あなたがたは飲むたびごとに私の記念としてこれを行いなさい」あなたがたはこのパンを食べこの杯から飲むたびごとに主が帰って来られるまで主の死を告げ知らせるので
コリントの信徒への第の手紙112326節)

キリストは、御言葉によって皆を慰めてくださるだけではなくここで御言葉がはっきりと語っているように、パンと共に御自身の身体を食べ物としてぶどう酒と共に御自身の血を飲み物として、あなたに与えてくださいます



97

すべての肉(人のこと)は草のようで。それらのすべての栄光は草の花のようで。草は枯れ、花は散ります[1]。しかし主の言葉は永遠に立ちつづます
ペテロの第の手紙12425節(前半))

この世は、偽りの信仰を誇るか、信仰をもたずに聖でありすぎるか、いつもそのどちらかで。もしも私たちが信仰と神様の恵みについて説教すれば、もう誰もよい行いについて知りたいとは思わなくなってしまいます。もしも私たちが「よい行いについて話せば、もう誰も信仰について気にかけなくなってしまいます。黄金の中道を歩む者はまれで。その道は真のクリスチャンにとってさえ困難です。



98

もしもアブラハムがよい行いに基づいて義とされたのならば、彼には誇る理由がありますただし、神様の御前では別です
ローマの信徒への手紙42節)

私たちも正しい人たちには誇るべきもっともな理由があると思っています。それよりも素晴らしいことがこの地上にありうるでしょうか。しかしながらそれも、太陽、月、穀物、ぶどう酒、その他すべての被造物と同じく、神様からの賜物なのです。物事を混同しないように気をつけましょう!この世で正しいと認められている人に、その人がこの世では際立って貴重な存在であることをちゃんと認めてあげて程よい栄光を与えましょう。しかし、そうしたところで、その人がクリスチャンになるわけではないことを覚えておきましょう



99

神様は、私たちが民に宣教し、この方(イエス・キリストのこと)は生きていると死んでいるとを裁かれるために神様によって任命されたことを証しするよう、命じになりました。この方についてすべての預言者は、この方を信じている者は皆この方の御名を通して罪の赦しをいただけることを証しています
使徒の働き104243節)

たった一つの説教が心に深く突き刺さり、その影響がずっと後にも続いていくことがありますその後の人生でその人が聴く説教の数々は、初めに聴いたあの説教を補強するか、あるいは侮辱するか、そのどちらかで



910

このためにあなたがたも召されているので。キリストもあなたがたのために苦しまれ、あなたがたに模範を残してくださいました。それは、あなたがたがその御跡に付き従っていくためで
ペテロの第の手紙221節)

すべてのクリスチャンの受難は今日もまたキリストの受難に隠され、覆われその無垢さによって飾られなければなりません。私たちは、キリスト教会と共に「私たちの罪を赦してください」と告白しつつ、罪の赦しの信仰告白を祈らなければなりません。私たちの受難は、たとえそれが最も悪く大きく難しいものとしても、キリストの御跡にはるか後ろから従うことにほかならないからです。


[1] アオリストの格言的用法。