10月11日
あなたたちは再び恐れへと陥れる「奴隷の霊」ではなく、「子供になる権利を与える御霊」を受けたのであり、その御霊の中で「アバ、お父さん!」と私たちは叫ぶのです。
(「ローマの信徒への手紙」8章15節)
神様の子供の心の中には勇気に満ちた「アバ(「お父さん」という意味)」という叫びのみが響いている、などと思い込んではなりません。その中では嘆きの叫びも聞かれるのです。これは聖徒が皆、体験してきたことです。罪もまた良心の中で人を絶望に追いやるはずです。しかし、キリストの御霊の叫びは、信頼が疑いに打ち勝つほど圧倒的に力強いはずです。ヨハネがこう言っている通りです、「そこから私たちは、自分たちが真理から出ていることを知るでしょう。そして、私たちは心を神様の御前で安らかにさせるでしょう。たとえ私たちの心が(私たちを)責め立てたとしても、神様は私たちの心よりも大きい御方であり、すべてを御存知だからです」(「ヨハネによる第一の手紙」3章19~20節)。
10月12日
民よ!どんなときでも神様に信頼しなさい。神様の御前にあなたたちの心を注ぎ出しなさい。神様は私たちにとって避けどころなのです。
(「詩篇」62篇9節)
あなたたちに何かが欠けているときには、心を神様にすっかりお渡しし、心配を隠さず自由に語りなさい。ちょうど一番の親友に話すように、心を開いて神様にはっきりとすべてを語りなさい。神様は喜んで聴き、諭し、助けてくださいます。
10月13日
イエス様が天使たちのことではなく、アブラハムの子孫のことに配慮されているのは確かです。それゆえ、神様の御前で憐れみ深く忠実な大祭司となって、民の罪を贖う[1]ために、イエス様はすべての点で兄弟たちと同じようにならなければならなかったのです。
(「ヘブライの信徒への手紙」2章16~17節)
私のことをキリストほどよく理解してくれる人はほかにいません。キリストほど私の近くにいてくれる人もいません。キリストほど私に親しく心のこもった関係にある人もほかにいません。それほど、キリストは私を御自分と共にいるようにと、ごく近しくまたしっかりと関わってくださっています。私は、ほかならぬキリストからあらゆるよいことをいただける、と期待してよいのです。なぜなら、心の正しい父親が自分の小さな子供を愛するよりもさらに優しく、キリストは私を愛していてくださるからです。
10月14日
シモン、シモン、ごらんなさい、サタンがあなたたちを麦のようにふるいにかけるためにあなたたちのことをつぶさに調査しました。しかし、私はあなたの信仰がなくならないようにとあなたのために祈りました。ですからあなたは、立ち直ったときにあなたの兄弟たちを力づけてあげなさい。
(「ルカによる福音書」22章31~32節)
人はあらゆる苦しみや戦いにおいて、神様の守りの中へと急いで逃げ込まなければなりません。人は「自分の身の上に起きるあらゆることは、それを引き起こしたのがサタンか人間かには関わりなく、神様の許可に基づいて起きている」ことを知っておかなければなりません。悪魔や世は私たちから髪の毛一本さえも持ち去ることができない、というのは実に素晴らしい慰めです!言葉で言い表しようのないほど素晴らしい父親的な配慮ではありませんか!
10月15日
日がたって、カインは地の産物の一部を供え物として主の御許に携えて来ました。アベルもまた自分の羊の初子たちとそれらの最上の部分を携えて来ました。主はアベルとその供え物とを顧みられましたが、カインとその供え物は顧みられませんでした。非常な怒りがカインを満たし、カインはその顔を伏せました。
(「創世記」4章3~5節)
この例はアベルのためではなく、アベルに似て貧しい神様の子供たちのために書かれています。たとえカインが傲慢に彼らを蔑むとしても、神様は彼らのことを忘れず、見捨てず、彼らに憐れみの目を向けられます。そして、カインをその長子の特権や供え物とともに流浪するに任せられます。