10月1日
主は私たちの裁き主、統治者、王です。この方が私たちを救われます。
(「イザヤ書」33章22節)
国に平和と秩序を守る王様がいることは、この世においても大切なことです。それと比べると、私たちには天の王様、天の王国すなわち罪の赦し、平和を維持し私たちを悪魔やその手下どもから守り、死やあらゆる悪から救う権威者がおられることは、どれほどより多くの励ましに満ちていることでしょうか。
10月2日
見よ、私はあなたと共におり、あなたがどこへ行こうともあなたを守ります。そしてあなたをこの地へ連れ戻すでしょう。私はあなたを見捨てず、私があなたに言っておいたことを行うでしょう。
(「創世記」28章15節)
ヤコブがエサウから逃げているときに主がヤコブに語ったこの御言葉は、ヤコブの心がどのような状態であったかを私たちに示してくれます。神様は無意味なことをだらだらと話すお方ではありません。苦難と危機にさらされていたヤコブがこっそりと逃亡したことに私たちは気づきます。兄エサウが彼の命を脅かしていたからです。
ヤコブが自分ではなすすべがないような危険の最中にいるときに、神様が共にいて「助けと守りをあたえよう」と彼に告げてくださいました。「神様は御自分の民をお見捨てになりはしない」と私たちが確信をもつために、この御言葉は書かれています。たとえ世界全体が私たちに反対している場合でも、神様は共にいて私たちを助けてくださいます。
10月3日
子たちよ、すべてにおいて両親に対して従順でありなさい。それは主にあって喜ばしいことだからです。
(「コロサイの信徒への手紙」3章20節)
信仰と愛をもちつつ両親や上司の言うことに従って、床を掃いたり地面から藁を集めたり、といった些細な仕事を行ったとき、実はあなたは神様のお目には、神様の御命令もなしに行われる奇跡の力で全世界を信じ込ませることよりもはるかに偉大なことを行ったのです。あなたの行いがこれ以上清潔で聖くありえましょうか。さらに神様は「すべてがあなたの最善になる」と保証くださっています。あなたには、あらゆるよきこと、喜びに満ちた良心、保護と守り、また百倍もの報酬を与えてくださる恵み深い神様が共におられるのです。
10月4日
彼を見てペテロはイエス様に言いました、「主よ、この人はどうですか」。
(「ヨハネによる福音書」21章21節)
聖人たちの人生や行いに気をとられて自分の仕事をないがしろにする者たちもこのペテロと同じように言っています。そして、そういう態度を主はここで叱っておられます。「この人がどうなるか、ペテロ、あなたに何の関係がありますか。私に従い、他の人の世話は私に任せなさい。私が同じことをあなたからも他の人からも望んでいるとでも思うのですか。それはちがいます。私があなたに与える仕事を行いなさい。もちろんこの人にも自分の仕事が与えられるのです。私はいろいろな僕をもちたいと望んでいます。すべての僕に同じような仕事が与えられているわけではありません」。
10月5日
イエス様は両親とともに出発し、ナザレへ行き、彼らに対して従順でした。
(「ルカによる福音書」2章51節より)
「イエス様は従順でした」。この御言葉の中に「ルカによる福音書」は私たちの愛する主キリストの若かりし頃のことすべてを要約しています。イエス様は御自分の両親に対して従順でした、すなわちモーセの第四戒(「父と母を敬え」)を実践なさいました。こうした行いを父親や母親は必要としています。イエス様は水やパンや肉を取りに行き、御自分に命じられたことを行われました。このように愛する主イエス様は十戒を実行なさったのです。