2011年4月20日水曜日

「マルティン・ルターの宝石箱」10月6日~10日

  
  
106

恵みにより、信仰を通して、あなたがたは救われました。そしてこれが実現したのは、あなたがたによるものではなく神様の贈り物によるもの。それは行いによるものではありません。誰もその行いを誇ることがないためで。私たちは神様の創造物であり、イエス・キリストにあって神様が予め備えてくださったよい行いを行うために造られました。それは私たちがそれらのよい行いの中を歩むためなのす。
エフェソの信徒への手紙2810節)

クリスチャンのよい行いには名称も時間も場所もありません。それらは、いつどこで彼らが行ったとしてもよい正しい行いなの



107

今までに書かれていることはすべて、私たちを教えるために書かれたのです。私たちが忍耐により、また聖書による慰めによって、希望をつためで
ローマの信徒への手紙154節)

隣人の罪や弱さを耐えることは決して些細な十字架や苦しみではありません。それどころかそれはある人たちにとってあまりにも重荷であり、そのため彼らはそれを耐えるよりもむしろ自分にも他の人にも死を望むほどで。このような苦難においても忍耐をつづけるために、私たちは聖書によって慰めをいただくべきで。パウロは私たちのために大変ひどく苦しまれたキリストを苦しみを耐え抜かれた模範として提示してるのです



108

人は皆、はじめによいぶどう酒を出して、酔いが回ったに劣ったものを出すものですが、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました。
ヨハネによる福音書210節より)

ことを運ぶやり方が人と神様の間で互いにどれほど異なっているか注目してください。人ははじめに最上のものを出し、それから劣るものを出します。神様ははじめに十字架と苦しみを与え、それから栄光と救いを与えてくださいます。神様ははじめに人の良心を動揺させ、苦いぶどう酒を、場合によってはただの水をお与えになりますが、そのあとで福音に基づく約束によって慰めてくださいます。そして約束は永遠に有効でありつづけるので



109

金銭を愛さずに与えられているもので満足する習慣を身に付けなさい。神様こう言われているからです、「私はあなたを決して捨てず、あなたを決して置き去りにはしませんそれゆえ、私たちは心を落ち着けてこう言います、「主は私の助け主です。だから私は恐れません。人私に何ができるというのでしょう
ヘブライの信徒への手紙1356節)

自分が強いと思い込み見捨てられたと感じたことがない者たちを、神様は一度も助けたことがありません。助けを必要とし求めている人たちを、神様は決して見捨てたことがありません。聖霊様に助けを求めるのは怯えている魂だけす。



1010

苦難の日に私に叫びなさい。私はあなたを救い出し、あなたは私を敬うでしょ
詩篇5015節)

起きて、ひざまずきなさい。まなざしと手を天に向け、詩篇か主の祈りを唱えなさい。そして自分の苦しみを神様へ打ち明けなさい。きなさい。りなさい。びなさい。神様はあなたが苦しみを抱いたまま、そを何倍にも大きくして自分自身痛めつけるのではなく、その苦しみを神様にすべて委ねることを望んでおられるのです。