「いっそう切なる祈り」
イエス様は苦しみの最中にあっていっそう切なる祈りを続けられました。
(「ルカによる福音書」22章44節)
私たちはたとえ祈るとしても、どのように祈っていますか。
どのくらい頻繁に、どのような心持で、どれほど熱心に?
祈りはたんなる朝夕の定型文による祈りの言葉よりも深いものです。
子どもの頃に覚えた短い祈りがその価値を失うことはありませんが、
心のこもらない機械的な祈りは避けるべきです。
主の祈りは比類無き見事な宝石のような祈りです。
しかしルターによれば、
いい加減に唱えられることの多い「最大の犠牲者」です。
私たち自身の祈りのあるべき姿を教えるたしかな枠組みとして
主の祈りを用いることができます。
なによりもまず神様の栄光と御国の実現とを求めましょう。
その後で、自分自身や隣り人の日用の糧を祈り求めましょう。
私たちの人生には「いっそう切なる祈り」を
救い主から学ばせていただく時期があるものです。
ゲッセマネにおける極度の苦悶の只中で
イエス様は「いっそう切なる祈り」をなされました。
天の父から力づけられた後、イエス様は粛々と十字架の死へ赴かれました。
心が沈んでいる時や深く悲しんでいる時、
私たちも「いっそう切なる祈り」をすることになります。
ヤコブと共に私たちも夜明けまで神様と組み合うことになります。
私たちが(祈りの)試練に勝った時、
神様は愛する御子のゆえにどれほど喜んで
私たちを祝福し助けてくださることでしょうか。
(祈り)主よ、あなたの御旨に沿うように自分自身を整えて
絶えず祈りつづけることができるようにどうか私を助けてください。
アーメン。
(関連聖句)「ルカによる福音書」22章39~45節