「罪の赦しの必要性」
すべての人は罪を犯したため、神様の栄光が欠けています。
(「ローマの信徒への手紙」3章23節)
キリスト信仰の慰めに満ちた真理とは、
私たちが「価なしに、神様の恵みにより、
キリスト・イエスによるあがないによって義とされる」ということです
(「ローマの信徒への手紙」3章24節)。
それなのに、
どうして私たちはこのことを素晴らしいと思わないのでしょうか。
なぜ私たちは深く感動しないのでしょうか。
私たちが他の人々を
私たち自身よりも悪い存在であるとみなしているからでしょうか。
もしそうならば、
私たちは罪の赦しを事実上必要とはしていないことになります。
今、神様は私たちに「ローマの信徒への手紙」3章22~23節で
次のようなことを教えておられます。
イエス・キリストを信じる信仰による神の義は
すべて信じる人に与えられるものです。
そこには何の差別もありません。
すべての人は罪を犯したため、神様の栄光が欠けているからです。
食事をした後で、テーブルナプキンは
とても汚れているものもそれほどではないものも
すべて洗濯のために集められます。
それらを新たに使うためには
洗濯と漂白とアイロンがけをする必要があります。
同じように私たちも皆、
聖なる神様の御前に落ち度なく立つようになる前には
小羊の血による洗い清めが必要になります。
自分と他の人とを比較するのをやめて、
自分の姿を神様の聖なる鏡に映して見るとき、
洗ってきれいにしていただく必要性がわかります。
そしてその時に、
私たちは罪の赦しをいただけることを喜べるようになります。
また神様の平和が私たちをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
(祈り)
主よ、私たちの罪が見えるように、どうか私たちの目を開いてください。
罪の赦しがキリストにある恵みの賜物であることを
私たちにはっきりお示しください。
それにより、
私たちの心が言葉では表せない輝く喜びで満たされるようになさってください。
アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」3章20~28節