「とりなしの祈り」
ですから互いに罪を告白し合い、
また癒されるように互いのために祈りなさい。
義人の祈りはそれが熱心になされる場合には大いに力があります。
(「ヤコブの手紙」5章16節)
聖書の登場人物たちはお互いのために祈り合いました。
なぜ私たちはそうしないのでしょうか。
私たちが互いにとりなしの祈りをしないことを神様は訝っておられます。
誰もが自分自身や家族や親しい人々のためにばかりよいことを祈っています。
ある特定の人が悔い改めるように祈っている人が誰かいるでしょうか。
説教職を務める牧師たちや教会のために誰か祈っていますか。
躓いた人やさまよっている人のために誰か祈っていますか。
海外宣教や学校のために祈っている人がいますか。
子どもたちが洗礼の恵みに留まれるようにと誰か祈っているでしょうか。
社会全体の責任を担う指導者たちのために私たちは祈っているでしょうか。
とりなしの祈りをしないでいることは
キリスト信仰者にとって最悪の怠慢であるとも言えます。
義人の祈りはそれが熱心になされる場合には大いに力があります
(「ヤコブの手紙」5章16節)。
ロトのためにアブラハムが祈ったとき、
また偶像礼拝に陥ったイスラエルのためにモーセが祈りで戦ったときに
何が起きたのかを思い出してください
(「創世記」18章、「出エジプト記」32章)。
死刑囚として投獄されたペテロのために信者たちが祈ったときに
何が起きたか思い起こしてください(「使徒言行録」12章)。
「もしあなたがたのうちの二人が、
どんなことについても地上で心を合わせ願うなら、
天にいます私の父はそれをかなえてくださいます」
とイエス様は言っておられます(「マタイによる福音書」18章19節より)。
「神様の武具一式を身につけ」るとき、
私たちは「主にあって、その偉大な力によって強くなり」ます
(「エフェソの信徒への手紙」6章10、13節より)。
「あらゆる祈りと願いをし、
どんな時でも御霊によって祈り、
そのためにあらゆる忍耐を持ち、
すべての聖徒のために祈りつつ目を覚ましていなさい」
と聖書は教えています(「エフェソの信徒への手紙」6章18節)。
(祈り)
私たちのために偉大なとりなしの祈りをなさり、
私たちを守ってくださる主イエス様、
私たちも互いに祈る習慣を身に着けられるようにお教えください。
アーメン。
(関連聖句)「ヨハネによる福音書」17章