私が行いたいと望んでいるよいことを私は行わず、
私が行いたくないと思っている悪いことを私は行っています。
(「ローマの信徒への手紙」7章19節)
この世で肉の中に生きている限り、
私たちが弱さや欠点から完全に解放されることはありません。
罪や苦しみがまったくなく
義と喜びにのみ満たされている人は誰もいません。
なぜなら、
「罪や悪い欲望と戦いつつも、
できれば感応したくないと思っていることに意に反して感応してしまう」
という点を除けば、
クリスチャンも他の人々と同じように肉と血をもった存在だからです。
このようなクリスチャンは、
自分の感覚に基づいて自分を裁いたり、
「私はもうだめだ」、とあきらめたりはしないようにしましょう。
教会はこの地上で、
弱さ、貧しさ、惨めさ、死、侮蔑、恥辱の中にあって
戦わなければなりません。
たとえ自分の中に
罪、絶望、忍耐不足、罪への堕落がまだあるとしても、
誰も他の人(の欠点)につまずいたり、
自分に絶望するべきではありません。
つまずいたときには、
「つまずいた私を、神様は捨てた」、とは考えず、
心を入れ替え、御言葉を信じて、陥った罪から立ち上がり、
「罪よりも強い恵みの御国に私は住んでいる」、と自分を慰めなさい。
「律法が入り込んできたのは、罪過が増し加わるためでした。
しかし、罪が増し加わったところには、恵みもますます満ち溢れました」
(「ローマの信徒への手紙」5章20節)。
この恵みの御国で私たちが賜物としていただく聖霊様は、
新しい勇気と力を与え、弱さの中にある人を強め、
「神様のお住まい」に変えてくださいます。
そこでは、神様の愛が支配しており、
人の弱さを覆い隠し、それはもう罪とはみなされません。