2012年5月7日月曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 コリントの信徒への第二の手紙6章4、7節より


 
私たちはすべてにおいて自分が神様の僕であることを示してきました。
(中略)右手と左手の義の武器によって。
(「コリントの信徒への第二の手紙」647節より)
 
  
私は、厳しく手紙を書くと「傲慢だ」と言われ、
謙遜に書くと「弱虫だ」とか「逃げている」とか
「謙遜なふりをしているだけだ」などと言われます。
何をしても悪くとられるのです。
日常生活の中で私は、相手が福音の敵でないかぎり、
誰に対しても、子どもに対しても、へりくだりたいと思っています。
もしも私の生活の歩みが神様の恵みを考慮に入れずに裁かれるなら、
私を待ち受けているのは地獄の苦しみだけです。
しかし、私が謙遜にふるまう、などということを、
こと私にゆだねられている職務と教えに関するかぎりは、
誰ひとり(とりわけ福音の敵たちは)期待してはいけません。
私が信仰にとどまりつづけるかぎり、
彼らの意思とはかかわりなく、
彼らは私のことを「生ける聖人」とみなさなければなりません。
私が信仰にとどまれるように、
神様、私のことを終わりまで助けてください。
神様の助けがなければ、すべてはお終いだからです。