2012年2月3日金曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ヨハネによる福音書16章8~9節

 
この方(慰め主なる聖霊様)が来られると、
世に対して罪と義と裁きについて明示なさいます。
「罪について」といったのは、
世は私を信じないからです。
(「ヨハネによる福音書」1689節)
 
  
いと高きお方が罪とみなされることを、私たちも罪と認めましょう。
ここで言われているように、不信仰は罪です。
ところで、「キリストを信じる」とはどういうことでしょうか?
それは、
「キリストが神様である」とか、
「キリストは天国で父なる神様と共に同じ力によって支配している」
ということを信じることだけではありません。
この程度なら他の多くの人たちも信じています。
キリストへの信仰の核心は、
「恵み深い神様なるキリストが、私の罪を取り去り、
私と父なる神様を仲直りさせてくださったおかげで、
私の罪はキリストに属し、
キリストの義は私に属するようになっている」、
と信じることです。
ここで「交換」が生じています。
世のすべての罪はキリストの上にあり、
キリストにおける父なる神様の義は、
私たちのすべての罪を飲み込みたいのです。
そして、この信仰こそが、
私をきよめて御父様に喜んで受け入れていただける存在にします。
たとえ義とされた信仰者の中に罪が残っていたとしても、
それらの罪は彼らの罪とはみなされず、
それらが彼らを滅ぼすことはできません。