2012年2月13日月曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ヨエル書3章5節

  
主の御名を呼ぶ者は皆、救われます。
(「ヨエル書」35節)
  
 
私たちはこの世での人生の間、
主を面と向かって見ることができません。
それゆえに、
主の「御名」と預言者は言っているのです。
私たちはこの世では「信仰の王国」の中で活きています。
神様の御名とは神様の御言葉のことです。
それを私たちは聴くのであり、
そこに私たちの富があります。
死ぬ時までは、
これを超えるものを何も私たちはもっていません。
しかし、死んだ後で、
私たちは主を面と向かって見ることになります。
「皆」という言葉に特に注目しましょう。
神様は、御自分を呼び求める者に対して、
自由な御意志により無償で約束してくださった救いから、
誰一人除外なさらないのです。
このことを知っておくのは、
御言葉の根拠なしに、
御言葉に反して吹聴されている
「恵みに関する選び」という、
あの危険な考え[1]を斥けるためにも大切です。
神様は私たちに御言葉を送ってくださるので、
誰あろう私たちこそが
恵みによって選ばれているのです。
私たちは、
神様がはっきりくださっている約束に信頼し、
救いを求めて神様の御名を呼び、
自分は救われる、と確信をもつべきです。
「私たちの救いの神様、
あなたの御名の栄光のゆえに、
私たちを助けてください。
あなたの御名のゆえに、
私たちを救ってください、
私たちの罪を赦してください」
(「詩篇」799節)。
 

[1] 人間的な基準によって、ある人は神様の恵みにあずかっているが、ある人はあずかっていない、と判別する考え方をさしているものと思われます(訳者注)。