2012年2月1日水曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ヘブライの信徒への手紙12章6節

 
主は、
御自分が愛する者を鍛錬し、
御自分が受け入れる者を鞭打たれます。
(「ヘブライの信徒への手紙」126節)
 
  
一見すると神様は
クリスチャンにもクリスチャンではない人にも同じように接しておられ、
クリスチャンにはより悪いことが起こるようになさる
とさえ感じられることがあります。
 
しかし、神様は
クリスチャンを身内のものとして、
神をないがしろにする者を召使として
扱っておられるのです。
父親は息子を懲らしめることもありますが、
同時に息子にいつか継がせることになる宝を取り集めておくものです。
悪い不従順な召使は懲らしめを逃れることができますが、
そのかわり家から追い出されて、何も継がせてはもらえません。
  
まさにこうした理由から、
神様は、
神をないがしろにする者たちが何の妨げもなくやりたい放題にさせ、
御自分の愛する子供たちがこの世で辛く苦しい目にあうようになさるのだ
としか、私には思えません。