2011年11月18日金曜日

「マルティン・ルターの旅のお弁当」 ローマの信徒への手紙8章18節

 
今この時の苦しみは、
私たちに明らかにされる来るべき栄光にくらべれば、
取るに足りない、
と私はみなしています。
(「ローマの信徒への手紙」818節)
  
  
どんな反対を耐えなければならないとしても、
どんな十字架を担いでいかなければならないとしても、
それはすべて軽く好ましいものにかわります。
キリストが担わせるくびきは、私たちにぴったり合っており、
キリストがくださる荷は、軽いからです
(「マタイによる福音書」1130節)。
罪が赦され、
それによって良心の平安が与えられた今、
クリスチャンは他のあらゆることを容易に耐えることができます。
今や、すべてがクリスチャンにとって
心から好ましく喜ばしいものにかわっているからです。
それゆえクリスチャンは、
たとえ肉的にはさまざまな困難が伴うとしても、
霊的にはすべてを喜んで行い、すべてを耐えるのです。
ところが、人が自分の義によって生きる場合には、
すべての仕事や苦しみは、その人にとって
堪えようもないほど重く苦しいものにかわってしまいます。
その人はそれらのことを、やる気もなく嫌々ながら行うからです。