「罪が待ち伏せしています」
「正しい事をしているのなら、顔をあげたらよいでしょう。
もし正しい事をしていないのなら、罪が門口に待ち伏せているのです。
その罪はあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
(「創世記」4章7節)
神様が自分の捧げ物に目もくれなかったことにカインは腹を立てました。
そして弟アベルを憎みました。
神様は弟の捧げ物を喜んでごらんになったからです。
このとき神様はカインに罪深いことをしないように警告なさいました。
罪は門口で待ち伏せしている獣のようなものだから、と。
このような「獣」は私たちの戸口にもいます。
どのような獣があなたに襲いかかろうとしているのでしょうか。
欲望でしょうか、怒りでしょうか、復讐心でしょうか、妬みでしょうか。
自己中心や傲慢という獣でしょうか。
こういった獣たちが今も待ち伏せしています。
もしもちゃんと治めなければ、それらはあなたに襲いかかってきます。
「人は自分の蒔いたものを刈り取ることになる」
と神様の御言葉は教えています(「ガラテアの信徒への手紙」6章7節より)。
人は誰もこの決まりを変えることができません。
罪という待ち伏せする獣を治めることは神様の御言葉によってのみ可能です。
律法は私たちを自らの罪深さを知るようにさせ、
キリストの救いを慕い求めるように追い込みます。
私たちがキリストの十字架の死と復活のもたらしてくれたものを
信仰において自分自身の上にまとうとき、
罪はもはや私たちの肢体を支配することができなくなります。
もはや律法は私たちを呪うことができず、
地獄の力が私たちに及ぶこともありません。
主の御名は堅固な城となり、
義とされた者はそこに走り込み、安全にかくまわれます。
「私のもとに来る者を、私は決して外に投げ出したりはしません」
とイエス様は言っておられます(「ヨハネによる福音書」6章37節より)。
(祈り)主イエス様、あなたはその血によって
私たちを罪から解放してくださいました。
罪がもはや私たちを治めないように、
あなたの御言葉と血の力によってすべての悪に勝てるように、
どうか助けてください。
罪が待ち伏せしている時に、
いつもあなたの守りの中に急いで入れるように、
どうか助けてください。
アーメン。
(関連聖句)「ローマの信徒への手紙」1章18~32節