「自分自身の信仰」
義とされた人は、その信仰によって活きます。
(「ハバクク書」2章4節)
信仰との個人的な関係について質問された時に、
キリスト信仰者である両親や祖父母のことを挙げる人もいれば、
配偶者の信仰心のことを挙げる人もいます。
しかし他の人の信仰のおかげで救われる人は誰もいません。
死ぬ時や最後の裁きの時に必要なのは、
家族や親戚など身近な人の信仰ではなく、
あなたを罪から贖ってくださったイエス様を
自分の救い主としてあなた自身が受け入れているということです。
親がキリスト信仰者である家庭で育ったとか、
洗礼を受けているとかいうことだけでは十分ではありません。
「マタイによる福音書」25章1〜13節に登場する賢い花嫁たちは
愚かな花嫁たちに自分の油を分けることができませんでした。
油を買いに行くには時すでに遅く、
婚礼会場の扉は閉じられ、
愚かな花嫁たちは外に取り残されたのです。
義とされた人は、その信仰によって活きます。
他の人の信仰によってではありません。
必要なのは自分自身の信仰なのです。
それはたんなる知識ではなく、福音の御言葉への心からの信頼です。
この福音の御言葉は、
イエス様があなたの罪のために死に渡され、
あなたを義とするために死者たちの中から復活なさったことを証しています。
聖霊様は福音の御言葉を真剣に聴く者なら誰にでもこの信仰を賜ります。
聖霊様は目の見えない人の目を見えるようにし、
神様に敵対する者を神様の友に変え、
死んだ者をよみがえらせます。
御霊は私たちの霊と共に、
私たちが神様の子どもであり天国を継ぐ者であることを
証してくださっています。
(祈り)主よ、私は信じます。
あなたが世に来られるはずの方、神様の御子キリストであると私は信じます。
あなたが私の主であり神様であることを私は信じます。
アーメン。
(関連聖句)「マタイによる福音書」25章1~13節