「みんなのイエス様」
ナタナエルは彼(フィリポ)に言いました、
「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。
(「ヨハネによる福音書」1章46節)
「心に偽りがない真のイスラエル人をごらんなさい」(47節)
とイエス様はナタナエルについて言われました。
しかしナタナエルは疑いました。
彼は旧約聖書にその到来が約束されているメシアが
ナザレのようなちっぽけな村から出てくることはありえないと思っていたのです。
ある意味で彼は正しかったとも言えます。
人は皆、その生まれ育った環境の刻印を受けます。
家庭や周囲の環境が人に与える影響は明らかです。
パウロは心底からユダヤ人であり、ルターは根っからのドイツ人でした。
しかしイエス様はすべての人間にかかわりがありました。
イエス様は今も昔もどの時代にも変りません。
イエス様をすべての国やあらゆる時代におけるキリストにしたのは、
ナザレでイエス様が受けた教育ではありません。
そうではなく、そもそも最初から「みんなのイエス様」だったのです。
イエス様の十字架の御業のゆえに罪の赦しの恵みを
(誰もが信仰を通して受けとれるように)皆のために用意するという、
神様の永遠に変わらない決定事項について、
イエス様は皆に公に伝えてくださいました。
イエス様はすべての国民やあらゆる時代の人々に
天国への道を開いてくださいました。
「神様はその独り子を賜わったほどにこの世を愛されました。
それは、御子を信じる者皆がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためです」
(「ヨハネによる福音書」3章16節)。
イエス様はこうも言われています、
「誰もまだ神様を見たことがありません。
ただ御父様のふところにいる独り子なる神様だけが、
神様のことを宣べ伝えたのです」(「ヨハネによる福音書」1章18節)。
(祈り)主イエス様、私たちがあなたを神様や救い主として知るようになり、
あなたを愛し、自分たちの王として仕えるように、
どうか私たちを教えてください。
(関連聖句)「マタイによる福音書」16章13~28節