2022年9月19日月曜日

「力なき者に力を」「コリントの信徒への第一の手紙」1章23節 「十字架にかけられたお方の御前で」

 「十字架にかけられたお方の御前で」

 

私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。

このキリストは

ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものです。

(「コリントの信徒への第一の手紙」123節)

 

騒然とした世の中や涙ながらの苦しい人生の中から

私たちは十字架のもとにやって来ます。

罪が重くのしかかり霊的な戦いでうまくいかなかったときに、

私たちはそこへ、

罪の赦しと平和と喜びをいただけるなじみの場所へと急ぎます。


しかし十字架のもとを去るならば、

私たちは不安と孤独に支配され、裁きの下におかれてしまいます。


十字架のもとで私たちは静かなる人々の大勢の集まりに加わります。

私たちはそこから生と死において必要とされるすべてのことを見出します。

 

十字架のもとで私たちは自分の罪のゆえに泣きくずれます。

いつもそこから正しい礼拝が始まるのです。

罪がどれほどひどいものかがわかります。

神様、どうか罪深い私を憐れんでください。

 

ゴルガタのもとで悔いる人々の涙は

キリストの聖なる犠牲の血に混ぜられます。


十字架の上でイエス様はまず

「父よ、彼らの罪を赦してください」と祈られました

(「ルカによる福音書」2334節)。


そしてこの聖なる犠牲の奉仕は「成し遂げられた」という

「アーメン」に相当する言葉で閉じられます

(「ヨハネによる福音書」1930節)。


ここに私たちの救いがあります。

ここで心は感謝で満たされます。

ここで私たちは御霊と真理にあって仕えます。

ここで私たちは福音が救いのための神様の力であると理解します。

 

(祈り)あなたの十字架のもとに、

イエス様、どうか私をいつも留まらせてください。

そこでは罪に悩まされた者の重荷はもう重くなくなります。

私の誇りは十字架だけです。

恵みをいただいて天国に行けることを感謝します。

アーメン。

(関連聖句)「フィリピの信徒への手紙」11821