「目的地、接近」
私が年老いた時、私を見離さないでください。
私が力衰えた時、私を見捨てないでください。
(「詩篇」71篇9節)
住む家があり、食べ物があり、快適な環境があり、
世話してくれる人が確実にいる場合には、
年老いていくのを恐れる人は誰もいないでしょう。
その一方で、
他の人たちからの好意にすがって
生活していかなければならなくなるのを望む人も誰もいないでしょう。
年老いていくとき私たちは
「私が年老いた時、私を見離さないでください。
私が力衰えた時、私を見捨てないでください」
と祈ります。
私たちは全員が例外なく年老いていくのですから、
老人たちや病人たちのことを覚えるべきです。
私たちはこのことを忘れてしまっていることがあまりにも多いです。
私たちが会いに行くならば、
祖父や祖母はその日をいつもより楽しく過ごすことができます。
私の力もいつかは衰えます。
そして助けを必要とするようになります。
イエス様への信仰やイエス様の恵みがなければ人生は孤独です。
自分が神様に見捨てられたと感じるときがあっても、
そのような考えにとらわれないようにしましょう。
神様は決して見捨てません。
「私はあなたを捨てない」と神様は言われます。
イエス様の十字架は神様の愛を証しています。
神様はその独り子を惜しむことなく、
十字架で死ぬようにしてくださったのですから、
私たちが年老いたときに、私たちを見捨てたりするはずがありません。
私たちの人生の終わりの日まで神様は私たちと共におられます。
なぜなら神様は
「私はあなたがたが年老いるまで変らずに
(あなたがたが)白髪となるまであなたがたを運びます。
私が(あなたがたを)造ったのですから、私が持ち上げ、運び、救います」
(「イザヤ書」46章4節)
と約束してくださったからです。
(祈り)神様、あなたが私を年老いるまで生きるようになさる場合には、
どうか年老いた時の私にも平和と喜びとを賜りますように。アーメン。
(関連聖句)「ルカによる福音書」2章25~32節