「石を投げつける者と祈る者」
こうして彼らはステファノに石を投げ続けました。
そのステファノは祈り続けてこう言いました、
「主イエス様、どうか私の霊をお受け取りください」。
(「使徒言行録」7章59節)
十字架に敵対する人々はステファノに石を投げつけました。
ステファノは祈りました。
石を投げつける者たちは勝ったかのように見えました。
ステファノは地に崩れ落ち「眠りに就いた」からです。
石は祈りよりも強かったのでしょうか。
祈る者の声が石の打撃によって弱っていった時には
たしかにそう見えたでしょう。
それでもこれは石打ちの刑に加担した人々の勝利ではありませんでした。
息絶えるまでステファノは自分を殺そうとしている者たちのために
罪の赦しを祈り続けました。
石を投げつけられたりひどい迫害を受けたりしながらも、
キリストの福音は勝利者として世界中を巡り続けてきました。
暴力は恨みと憎しみを生むだけです。
祈りの力に対抗できる武器は存在しません。
祈りは最強の壁さえも貫通します。
祈りはキリスト信仰者の秘密の武器です。
核兵器の恐怖に関連して
「本当に暴力は何かの役に立つのか」という疑問が投げかけられています。
私たちキリスト信仰者は、
祈りが殺人兵器よりも効果的な武器であることを十分に証しているでしょうか。
はたして私たちは手を組んで祈っているでしょうか、
それとも怒りにまかせて脅す態度をとっているのでしょうか。
敵対者たちのことを呪ったりはしないで
神様に対して祈りの声をあげているのでしょうか。
神様がくださる「戦闘服」一式を身に着けようではありませんか。
すべてを祈りつつ行いなさい。
「義人の祈りは大いに力があり、効果のあるものです」
(「ヤコブの手紙」5章16節より)。
(祈り)絶えず私たちが祈るように命じ、
私たちの祈りを聴くと約束なさっている神様、
どうか私たちに祈りの霊をお与えください。
御霊と真理にあって御心に適うように絶えずあなたに祈ることができるように、
どうか私たちをお助けください。
アーメン。
(関連聖句)「ヤコブの手紙」2章1~13節