「娘は眠っています」
「あちらへ行っていなさい。
少女は死んだのではない。眠っているだけです」
とイエス様は言われました。
すると人々はイエス様をあざ笑い始めました[1]。
(「マタイによる福音書」9章24節)
この少女の父親ヤイロと同じ信仰を彼の友人たちはもっていませんでした。
ヤイロはイエス様こそが死を統べる主であることを信じました。
死は、この世の人々にとって一切を終わらせる冷酷な力です。
彼らには希望がありません。
ところが、イエス様を信じる者にとって
死は終わりではなく真の命の始まりなのです。
死は、罪の世から栄光の王が統べる輝きに満ちた全き世界への扉です。
神様の御言葉は、神様の御子を信じて生き信じて死ぬ者皆に
天の御国の賜物を継承させることを約束しています。
彼らはイエス様を通して救いにあずかります。
十字架で死なれたことにより、
イエス様は私たちを永遠の死の状態から救い出してくださいました。
これは完全なる恵みであり賜物です。
私たちのこの世での住まい(私たちの身体)は次第に朽ちていき、
いつかは潰えます。
その時はゆっくり近づいてくる場合もあるし、突然そうなる場合もあります。
しかしキリスト信仰者には、
人間の手で作られたものではない永遠の住まいが天国に用意されています。
そこに移り住んで主といつも共にいられるようになるその日は、
救いの日なのです。
やっと実家に帰ってくることができた日だからです。
(祈り)主イエス様、あなたが死者から復活なさったことによって、
あなたは私たちを活きた希望を持つ者として新たに生んでくださったことを
あなたに感謝します。
完全なる従順と尊い血によって
あなたは神の義を全人類のために確保してくださいました。
私たちが常にあなたのうちにあり
この義をたしかに自分のものとしていただいていることが
はっきりわかるような真摯な生き方ができるように、
どうか私たちを助けてください。アーメン。
(関連聖句)「テモテの第一の手紙」2章1~8節