「しばらくの間」
しばらくすれば、あなたがたはもう私を見なくなります。
しかし、またしばらくすれば、私を見るようになります。
(「ヨハネによる福音書」16章16節)
イエス様は墓の中にしばらくの間だけおられました。
その後で、弟子たちはイエス様を再び見ることができるようになりました。
それと同じように、
私たちのこの世での旅もしばらくの間だけです。
それが70年間続くのか、それとも80年間続くのか、わかりませんが、
ともかくそれはわずかな間です。
それから、私たちはイエス様を面と向かって見ることができるようになります。
これは大いなる恵みです。
今日、私たちはここにいます。
明日、私たちの住まい(身体)は私たちをもう知らなくなるかもしれません。
「生きることに意味があるのだろうか」と人は考える時があります。
しかし、私たちが
「またしばらくすれば、私を見るようになります」
というイエス様の約束が実現するのを待ち続けるならば、
私たちの人生は真に尊く、その目的は大いなるものになります。
それに対して、この世にいる間、
私たちがイエス様もなく永遠の命の望みもなく生きる場合には、
生まれなかったほうがまだましだったことにさえなるでしょう。
神様の救いの恵みは、しばらくの間だけ私たちに提供されています。
もしもそれを不信仰によって拒絶するならば、
イエス様とは永遠に別れ別れになる場所(すなわち地獄)に
落ちてしまうことになります。
しかし、この世でイエス様と共に生きる人々は
イエス様と共に永遠に生きることになるのです。
私たちの十字架や試練、周囲からのさげすみや迫害、この世的な賜物は、
しばらくの間だけ続くものです。
また、この世において神様の御国で働けるのもわずかの間だけです。
その後で、救いの喜びに満ちた永遠の世界が始まります。
そしてその時が来ると、
私たちは救い主をいつも面と向かって見つめることができるようになります。
(祈り)主よ、本当に「しばらくの間」だけです!
私たちが知恵の心を得るために、
また私たちが自分らに与えられた日々(時間)を正しく数えられるように、
どうか私たちを教え導いてください(「詩篇」90篇12節)。アーメン。
(関連聖句)「詩篇」90篇