2013年4月26日金曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 死は命への扉です(ヨハネによる福音書8章51節)(その2)


 
死は命への扉です(「ヨハネによる福音書」851節)(その2)

 
 
死に打ち勝つだけではなくて、決して死ななくなる、
という効き目がある薬を調合できる薬屋は、
すばらしい薬屋と言えるでしょう。
人は皆、死なねばなりません。
しかし、
心に神様の御言葉を保ち信じている人は死を見ることがない、
というのは大いなる奇跡です。
神様の御言葉は、
それを信仰により心に堅く納めておくならば、
死を永遠の命に変えるほど強力な薬なのです。


「私の御言葉を保つものは決して死ぬことがない」、
と主が言われているように、死は命のはじまりです。
目の前に命だけがあるとき、死を見ることがどうしてありえましょうか。
その時、夜は昼間のように澄みわたり、明るく輝いています。
始まろうとしている命の光と輝きは、
その時に存在しなくなる死よりもはるかに澄みわたり、
輝きに満ちているからです。


私たちのこの世での命は、「死ぬこと」にほかなりません。
もっとも私たちは、そのことをふだん考えもしないで生きています。
正しい視点からすれば、
私たちの命と死とは互いに遠く隔たっているわけではありません。
ベッドにもぐりこむ時、そこから再び起き上がれるか、私は知りません。
テーブルに座る時、そこから再び立ち上がれるか、私は知りません。
要するに私たちは、起きている時も寝ている時も、
死ぬ時と同様に、生きることに関しては不確かです。
ただ、習慣化していることは、
なじみが薄いもうひとつのこと(死と命)にくらべて、
それほど不思議には見えないだけです。
     
   
キリストを通して死は打ち勝たれ、全世界は無に等しくされました。
その結果今残っているのは「絵に描かれた死」だけですが、
それは矛先をへし折られているため、
キリスト信仰者を傷つけることはできません。