2013年4月24日水曜日

「ルターの信仰生活アドヴァイス」 死は命への扉です(ヨハネによる福音書8章51節)(その1)


 
死は命への扉です(「ヨハネによる福音書」851節)(その1)
  
 
私たちは死ななければならないし、死を苦しまなければなりません。
しかし、
神様の御言葉の中に留まる者は、死を知る必要がありません。
その人は、夢を見ているかのように、この世から離れていきます。
「私は死ぬ」ではなく、
「私は眠りに就かなければならない」
という言葉こそが似つかわしいように。
  
  
敵は私たちを死によっておびやかします。
しかし、
もしも敵にまともな理解力があるのならば、
敵は私たちを命によって脅すことでしょう。
なぜなら、
キリストが復活なさったため、
死は罪と死自身との終わりにすぎないものになっていることを、
私たちは知っており、それを誇りとし。喜んでいるからです。
  
  
神様の御前でキリストの御名と御言葉のゆえに死ぬのは、
尊くすばらしいことです。
なぜなら、
私たちはいつかは死ぬ身であり、
結局は罪のゆえに死ななければならないからです。
しかし、
もしも私たちがキリストの御言葉のゆえに死に、
御言葉を自由に告白するならば、
その時、
私たちはあらゆるうちでもっとも光栄な死をむかえることになります。